読むナビDJ :第7回:インターネットと音楽の歴史を辿って(前編)

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第7回:インターネットと音楽の歴史を辿って(前編)

ばるぼら寄稿記事第2弾は、ダイヤルアップ接続からビョークiPhoneアプリまで、インターネットと音楽の歴史を振り返る前編

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ビョーク『Biophilia』 amazon.co.jpで買う

ミュージシャンはいつもインターネットに過剰な夢を抱いてきた。いや、彼らはいつも何か新しいことができないかと探し続けていて、今はインターネットの周辺に新鮮なものが現れやすい時代ということだろう。

ビョークの4年ぶりの新作アルバム『Biophilia(バイオフィリア)』が2011年9月28日に発売される。半年前はiPhone/iPad用のアプリとしてリリースされると報じられていたが、結果として通常のCDアルバムとアプリが別々に発売となるようだ。本作と連動したメインアプリは既に7月19日から先行リリースされており(無料)、このアプリをプラットフォームとして、収録曲10曲それぞれに対応した個別の有料アドオンが順次リリースされるという。ただの音源リリースではなく、ゲーム/アニメーション/ムービーを包括したマルチメディア・プロジェクトとしての『Biophilia』。こうしたリリース形態はインターネットの興隆がなければ想像もできなかったものだ。

ビョークの今回の試みは、誰もしていなかったことを突然始めたというよりは、皆が少しずつチャレンジしてきたことに別の新しいアイデアを加えたという類のものである。言い換えれば、1990年代以降のインターネットを中心とした我々のデジタル生活環境を、なんとか自分たちの新しい音楽流通経路として開拓できないかと様々な実験がくり返されてきた歴史の中の出来事である。その歴史は成功もあれば失敗もあった。そこで今回は前半と後半にわけて、インターネットを積極的に活用してきたミュージシャンたちの歴史を時系列で解説していく。前半は1990年代を中心に見ていこう。

一方通行メディアとしてのインターネット


坂本龍一『Sweet Revenge』 amazon.co.jpで買う

最初期のインターネットはまず新しい「メディア」として理解された。これはつまりミュージシャンが音楽を配信し、リスナーがそれを視聴するという、従来のテレビやラジオのような一方通行のメディアと同じようなものと思われていた。2011年の我々はインターネットは一方通行なそれではなく、双方向(インタラクティブ)のコミュニケーションを促進する場であることを既に知っているが、当時はまだそうした理解はマイナーだった。

インターネットで初めて自分たちのライブ映像を配信したのは、これまで色々な説があったが、現在はカリフォルニアのガレージ・ロックバンドSevere Tire Damageであるというのが定説となっている。なんと1993年6月24日。The Rolling Stonesが自分たちのライヴ・ツアーの一部をインターネットで中継し話題となったのは1994年11月19日だから、その一年以上前の話である。さらにThe Rolling Stonesの中継に刺激を受けて、日本でも坂本龍一が約一年後の1995年11月30日に武道館ライヴのインターネット中継を行っている。ポピュラー・ミュージックだけでなく、1995年11月10日にはシアトル交響楽団が「サイベリアン・ラプソディ」と題されたコンサートをインターネットで中継した(交響楽団としては初)。

ただ、当時はまだ定額制+高速回線の前夜で、従量制のやたら遅いネット環境が一般的だったため、見ようとしても細切れの映像にしかならず、日本でまともにネット中継ライヴを見れたのは、まだ数十人レベルだったのではないだろうか。この時期は総じて、インターネットは世界中のユーザが見られるテレビのようなものと思われていたのかもしれない。

実験的サービスとしてのインターネット


佐野元春『フルーツ』 amazon.co.jpで買う

1995年11月に発売された「Windows95日本語版」が大ブームとなり、インターネットというものがもう少し広まってきた90年代半ば。各レコード会社が自社サイトを立ち上げ、インターネットは世界中の情報にアクセスできる巨大なデータベースであるという認識が徐々に広まってきた(それを象徴するYahoo! JAPANは1996年4月開設である)。とは言っても「xxxのホームページがついに開設しました!」がいちいちニュースになっていた時代である。

この頃はファンサイトという形式が流行し始めた時期で、一時期はファンサイトの数が人気のバロメータともいえる状況だった。1996年末のデータによれば、Yahoo! JAPANに登録されていたミュージシャン約500組のうち、ファンサイトが10サイトを超えていたミュージシャンは18組だけである(GLAYglobeL'Arc en CielLUNA SEAMr.ChildrenX JAPANZARD相川七瀬THE ALFEE川本真琴小室哲哉サザンオールスターズジュディ・アンド・マリー谷村有美電気グルーヴDREAMS COME TRUE松任谷由実森高千里)。

当時の感覚でいえば、細かい情報をおさえているのはファンサイトで、公式サイトは公式にしかできない特別な情報を出すことのほうが優先されていたように思う。たとえば佐野元春は1996年7月1日に、オフィシャル・サイト「Moto's Web Server」でCD『フルーツ』のウェブ・バージョン(音、映像、グラフィック、インタラクティブ・コンテンツを集めた、今でいう特設サイト)を公開していたし、My Little Loverは同年10月31日に発売したCD-ROM『Alice in Wonderland』を経由することで、公式サイトのプレミアム・エリアにアクセスできた。

さらにマニアックに辿れば、1997年8月21日発売のサザンオールスターズのシングル『01MESSENGER~電子狂の詩~』は、NEC開発のメディア同期技術「Web Sync/CD」を初めて採用したCDで、パソコンで音楽CDを再生すると、曲にあわせて専用ウェブサイトの情報を自動的に連動表示するという仕組みがあった。Web Syncはほとんど使われないまま廃れたが、同年11月にB'zが『SURVIVE』をリリースした時も使われていた。

インターネット・ライヴ中継は様々なアーティストが行うようになってきていたが、SUGIZOが1997年8月3日にライヴ中継を行った際は、“マルチアングル機能搭載”が売りで、クリックするとカメラが切り替わり別の角度から見れるという、モニターの前のリスナーが参加できる余地を残した点が新しかった。

このように90年代半ばのインターネットは、ミュージシャン側にとってはデータベースというよりもある種の実験の場として使われていたふしがある。インターネットの普及率は現在と比べればまだまだで、プロモーションの場ではなく先行投資の場という認識が強かったのだろう。

会員制サービスとしてのインターネット


David Bowie『hours』 amazon.co.jpで買う

1997年頃からMP3フォーマットが爆発的に普及し、音楽をCDではなく取り込んだデータで聴く行為が一気に増加していった。この辺りからCDという物理的な形態を取らない、MP3をはじめとするデータ配信で音楽を広められないか、という試みに手を伸ばすレコード会社/ミュージシャンも増え始めた。

海の向こうではTodd Rundgrenが1997年4月に自身の音楽配信コミュニティ「PatroNet」を開設。一時期は活動をPatroNetにすべて移行し、今後は新曲はCDでは発表しないと語るほどインターネットに熱意を見せていた(が、もちろんその後もCDで新曲は出している)。Toddは1993年に新作『No World Order』をCD-I規格によるインタラクティヴ作品としてリリースして、ユーザが自由に楽曲をいじれる遊びを残すなど、新しいメディアには常に意欲的だった。

1998年9月にはDavid Bowieが自身の公式サイト「BowieNet」でISP事業に着手した。これは世界的に見ても類稀な進出で、ライヴ中継やチャットサービス、「~@davidbowie.com」のメールアドレスが貰えるなど、ファンにはたまらないであろう特別サービスが受けられた(BowieはMP3の普及を推奨していた一人)。Bowieのアルバム『hours』もインターネットで先行リリースされた。

Prince、いやこの時期はレコード会社と揉めに揉め、アーティスト名が記号(シンボル)になってしまっていた彼は、レコード会社に頼らない販売経路としてインターネットに希望を見出していたのだろう。まず1998年3月に『Crystal Ball』をウェブサイト「1-800 NEWFUNK」を通じてリリース。このアルバムはライナーノーツやジャケットをサイトからダウンロードして自分で印刷しなくてはいけなかった(後にショップに流通したバージョンには付属)。このプレミアム感のないネット通販のお詫びをこめてか、通販購入者には後日カセットテープ『The War』が無料配布された。


Prince『The Rainbow Children』
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その後もPrinceは2001年から、年間100ドルを払えば毎月レア音源がダウンロードができるなどの有料サービスをサイト「NPG MUSIC CLUB」で開始。2001年11月20日発売のアルバム『The Rainbow Children』はCDとオンラインの両方の形式でリリースされた。

海外のこれらの動向から感じられるのは、コンテンツ(作品)ではなくアクセス(会員制)でお金を稼ぐのが現実的だろう、という判断である。まず囲いを作って、その中には素晴らしいサービスが待っていますよ、とリスナーを誘う、2000年代後半から本格的に流行するSNSのような考えが既にある。The Grateful Deadのように1995年からメーリング・リストを作って、ファン(Deadheadと呼ばれる)と連絡を取り合いライヴ情報などを共有するコミュニティ精神も見られたが、それは幸せな例外だ。

もちろん通常のウェブ通販的な考えも平行してあり、Public Enemy『There's a Poison Goin' On』(1999年5月18日)やThe Smashing Pumpkins『Machina II』(2000年9月5日)をはじめ、インターネットで先行リリースされた作品はきりがない。Beastie Boysが楽曲がダウンロードされるごとに1ドル寄付するというチャリティ活動を行ったのは90年代末だったはずだ。Living Legendsは当時自分たちのレコードの50%以上がウェブサイトを通じて購入されていると語っていた。

日本では、先にも触れた佐野元春が、1998年5月にインターネット・ライヴ「The Underground Live '98」を日本で初めて有料で配信した。佐野は1999年2月に“デジタル・アート・ピース”と名づけられたインタラクティヴな音楽映像作品をネットのみでリリースするなど、積極的にインターネットを利用してきたミュージシャンの一人である。P-MODELは1999年5月31日に自らの音楽配信サイト「P-PLANT」を開設し、新曲をMP3で配信した。アーティスト主導で行われた試みは日本ではまだまだ珍しかった時期で、こちらも意欲的な姿勢と評価された。P-MODEL平沢進小西健司が、Clusterハンス-ヨアヒム・レデリウスとインターネットを通じて音源をやり取りし完成させたアルバムを発表したのもその頃である(1999年3月25日リリース、Global Trotters『Drive』)。

(後編に続く)

■この筆者「barbora」のコラム

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