コラムスピン :第102回:「ロックと日本の60年」第3章 ビートルズでバンドに目覚めた!

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第102回:「ロックと日本の60年」第3章 ビートルズでバンドに目覚めた!

連載シリーズ第3章は、1964年以降のビートルズ旋風をきっかけとしたブリティッシュ・インヴェージョン~そしてほぼ同時期に国内で起きたエレキブームとGSの話です。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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日本とロックの60年。前回は1960年代初頭のアメリカでのアイドル・ポップ・ブームを受けた日本での和製ポップスについて語り、坂本九の「Sukiyaki」の全米シングル・ナンバーワンの偉業についても触れました。今回は1964年、いよいよビートルズが登場してきます。

時差なくやってきた「1964年のビートルズ」

本題に入る前に、まず1964年という年がどういう年だったかを押さえておきましょう。この年は日本にとっては「高度経済成長の象徴」とでも言うべき、東京オリンピックの開催された年でしたが、それだけではありません。若者のカルチャーやファッションの感覚でも大きな変革があった年でした。ブレザー、ボタンダウンシャツ、コットンパンツの「アイビー・ルック」の流行で男性ファッションが洗練され、性的表現やアングラ文化など、これまで日本社会が開放的でなかった物に対して開かれたアプローチを取った雑誌「平凡パンチ」が話題となりました。こうした洗練や寛容性の拡大は、これから新たな刺激を受け入れるのに絶好のタイミングだったのかもしれません。そこでビートルズの登場、ということになるわけです。

ビートルズの日本での熱狂ぶり、ということになると、非音楽系のメディアの今日の報道を見てると、あたかも「1966年の来日のときに流行りはじめた」かのような印象を与えがちですが、それは正しくありません。日本でのビートルズ旋風は、1964年2月頃の時点で既にはじまっていました。ビートルズはこのとき、シングル「抱きしめたい」でビルボードのシングル・チャートで初の1位に輝き、同タイミングで同曲での日本デビューとなりました。そして3月下旬には「ミュージック・ライフ」誌の4月号で初の表紙を飾ります。同誌はその前年まで和製ポップス専門誌(第2章参照)でしたが、ビートルズ・ブームを皮切りに日本初の洋楽ロック誌に移行します。

ビートルズ「抱きしめたい」

さらにビートルズは4/4付のビルボード・シングル・チャートで上位5曲を独占という前代未聞の大記録を打ち立てますが、日本でもそれと同様の事態が起こります。約1か月後の5/11、当時、日本の洋楽ランキング番組で最も人気と影響力のあった文化放送の「9500万人のポピュラー・リクエスト」でビートルズはチャートの1位、5位、6位、7位を占めるチャート独占を記録します。日本でもアメリカとそれほどの時差なく、少なくとも洋楽を聴くような人のあいだでは大ブームとなっていたわけです。この年、結局日本で発表されたシングルは13枚にもおよび、前述の番組では、ビートルズ・ソングが毎週2~3曲は必ずランクインする状態が続きます。

ビートルズの曲が日本で最初に流れたのは、一節では彼らがトニー・シェリダンというシンガーのバックバンドとして別名義で録音した「恋人は海の彼方に(マイ・ボニー)」の1961年説もありますが、正式なプロ・デビュー以降では63年2月にニッポン放送で、イギリスBBC制作の番組「ザ・ベスト・オブ・ブリテン」を流した際にデビュー曲の「ラヴ・ミー・ドゥ」がかかり、それを同局のDJ糸居五郎が紹介したと言われています。ただ、この時点ではビートルズはまだイギリスでさえブームになっておらず、ましてや、まだヨーロッパのポップスのイメージがフランスとイタリアしかなかった頃です。その状態で日本に大きな反応を求めるのはさすがに無理があります。

ビートルズは63年3月から「プリーズ・プリーズ・ミー」を皮切りにヒットを連発してイギリスで大ブームを巻き起こします。その情報が63年後半から米軍基地の極東放送(FEN)から日本に入りはじめたようですが、一般局では64年1月10日放送の前述の「9500万人~」で 「英国王室主催コンサートを湧かせた大人気バンドがいる」との紹介で「プリーズ・プリーズ・ミー」が流れ、そこで注目度が高まったとの説が有力です。吉田拓郎シーナ&ザ・ロケッツ鮎川誠はそれぞれ山口県岩国、福岡県板付のFENで、井上陽水は「9500万~」でビートルズを初体験したと語っています。

また、この数年前から、日本の洋楽チャートでさえも、これまでのソロ歌手から、フォー・シーズンズロネッツなどのヴォーカル・グループと、シャドウズベンチャーズなどのエレキギターのインストゥルメンタルのバンドの曲が目立つようになり、さらにその両面を組み合わせ自作曲を歌うビーチ・ボーイズも登場しています。そうした流れの中でビートルズの出現はある意味必然的だったのかもしれませんが、ビートルズの場合、そこにアイドルとしての愛くるしいルックスに襟なしスーツにマッシュルーム・カットのスタイリッシュさが加わったことでさらに影響力が広がり易くなり、64年7月(日本では10月)に公開された主演映画『ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!』で人気にさらに拍車がかかりました。

こうしてビートルズの登場以降、世界中で「ロックバンド」という存在に注目が集まりはじめ、その宝庫のイギリスのバンドたちが次々とアメリカに渡って人気者となり、それは「ブリティッシュ・インヴェージョン」「ブリティッシュ・ビート」とも呼ばれるようになります。日本にもその波は到来し、64年までにデイヴ・クラーク・ファイヴアニマルズピーター&ゴードンマンフレッド・マンキンクス、そしてビートルズ最高の対抗馬となるローリング・ストーンズも日本デビューを果たし、洋楽チャートに次々と登場しました。これらのバンドは出身地やサウンド傾向の違いもありながらも、すべてがビートルズと同じリバプールの出身であるかのような売り方を日本ではされました。それはかのストーンズでさえ同様でした。何より覚え易いイメージが重要視された時代だったということなのでしょう。

エレキブームがやってきた

そんなビートルズでしたが、ひとつ問題がありました。それは、64年当時の日本の技術では彼らのカバーが難しかったことです。同年中にアイドル・ヴォーカル・グループのスリーファンキーズ(これは前述の「恋人は海の彼方に」を彼らがカバーをした縁もあります)、そして、ビートルズ・ブームにあやかって即席で作られた、その名も「東京ビートルズ」もビートルズのカバーを発表します。しかし、これらの楽曲はギターの部分がサックスに置き換えられたものでした。 エレキギターの再現は難しい問題だったのです。

スリー・ファンキーズ「抱きしめたい」

東京ビートルズ「抱きしめたい」

しかし、その矢先の65年1月、“エレキブーム”が到来します。それはアメリカのギター・インスト・バンド、ベンチャーズアストロノウツと行なった日本公演が大成功を収めたことでもたらされました。この公演の影響で、これまで洋楽そのものさえも聴いたことがなかった10代前半の若い少年たちを含め、エレキを手にする若者が急増しますが、これに目を付けたフジテレビが65年6月に放送を開始した「勝ち抜きエレキ合戦」でさらに人気を拡大し、さらに12月に公開された加山雄三主演の東宝映画『エレキの若大将』がとどめをさします。テレビと邦画が加わったことで、ブームが広がり易くなったのです。

The Ventures「Pipeline」

これまで聴いたことのないような大きな音を立てる若者たちを見かね、65年10月、栃木県足利市で教育委員会が「エレキ禁止令」を出し、以来、全国の学校でエレキを弾圧する動きが活発になります。「エレキを弾くと不良になる」。親世代は真剣にそう考えたのです。ここで興味深いのは、アメリカとの違いです。アメリカでは黒人への人種差別を根底にし、「被差別人種の黒人の真似をするなんて」という、歪んだ形ではありつつも一応論理的な理由でロックンロールを迫害をしていました。しかし、日本では文化背景が伝わらなかったこともあり、エルヴィス・プレスリーの曲を紅白歌合戦で披露しても問題はなかったのにエレキギターは単に「うるさい」という感覚的な理由だけで弾圧しようとしたのです。ここで日本での、ロックに対する「大人はわかってくれない」的なイメージが広がります。

また、このエレキブームの際、ベンチャーズらがテーマにしたのはサーフィンでしたが、同じテーマを歌の題材にするビーチ・ボーイズも日本で人気、というより、アメリカでは他のサーフィン系バンドとは比較にならない人気でした。ただ65年だと、むしろ彼らやジャン&ディーンなどは、むしろカスタム・カーやバイクを題材とした「ホットロッド」を歌っていました。中も、ビーチ・ボーイズが64年に発表した「リトル・ホンダ」は、日本のバイクの性能に関してはじめて世界で歌われた曲で、その後の自動車大国、日本の序章を告げるよう雰囲気もありました。

Beach Boys「Little Honda」

なお、欧米流のロックの教科書だと、1965年は「ビートルズへのアメリカからの回答」としてボブ・ディランバーズなどのフォークロック台頭の年、ということになるのですが、日本ではエレキブームのあおり受けたか、この年に紹介こそされてはいるのですが、一般的なヒットには至っていません。むしろ1年遅れて1966年に、ディランにジョーン・バエズサイモン&ガーファンクルソニー&シェールラヴィン・スプーンフルママス&パパス、イギリスからのドノヴァンなどが売れはじめた感じになっています。

これはちょうどよく和製のカレッジ・フォークのブームが起き、マイク真木荒木一郎ザ・ブロードサイド・フォー森山良子などがヒットを出した影響もあったためです。前章(第2章参照)でも紹介したように、当時の日本ではブラザーズ・フォーキングストン・トリオピーター・ポール&マリーのような、フォークギターの伴奏とハーモニーの美しさで聴かせるタイプが人気で、プロテスト派はまだ少数でした。ディランのアルバムも日本ではじめて発売されたのは本国より4年近く遅れた65年の秋のことでした。

Bob Dylan「Subterranean Homesick Blues」

遂にビートルズ来日公演

そして1966年6月、ビートルズは遂に来日公演を行うこととなります。この前年には「ミュージック・ライフ」8月号で、編集長の星加ルミ子がロンドンに乗り込みビートルズとの対面取材に成功し、さらにピーター&ゴードンハニーカムズアニマルズハーマンズ・ハーミッツなども来日公演を行うなど距離感は縮まってはいましたが、遂に待ちに待った瞬間が訪れることとなったのです。招聘元は前年にエレキブームの先鞭をつけたベンチャーズ公演を企画した共同企画(後のキョードー東京)でした。

ただ、会場に選んだ場所が大問題となります。その場所とは日本武道館。日本にとっての国技、柔道の聖地です。主催側からすれば「日本で一番大きな屋内会場」を求めた結果、武道館しか選択肢がなかったわけですが、「日本の愛国心」をぶちあげる人たちからは、当時の男性としては異例の髪の長さの外国人に国技の会場を使わせるわけにはいかない、ということになったのです。そうした批判は文化人にもおよび、当時の佐藤栄作首相までもがそこに加わったほどでした。そこに、前年に起こったエレキギターへの弾圧の感情も加わり、アンチの人たちの憎しみは倍加したわけです。

ただ、そんな保守的な人たちによる抑圧で萎むほど、ビートルズ人気はヤワではありませんでした。6月30日から7月2日に全5回公演で行われたビートルズの公演は連日大盛況で、7月1日の昼の部は日本テレビを経由して全国に放送されました。来日前の弾圧的な騒ぎは結局ビートルズに対する若者たちの好奇心を上げることにつながり、以後、日本では“ロックバンド”の存在がより大きなものとなっていきます。

ビートルズ来日を伝える日本のニュース

なお、ビートルズはこの約2か月後の66年8月29日のサンフランシスコでの公演を最後にコンサート活動を封印し、解散まで公式なライブを一切行いませんでした。彼らが活動期間中に公演で訪れた国は、イギリス、スウェーデン、アイルランド、フランス、アメリカ、カナダ、ドイツ、日本、フィリピンの計9カ国のみ。そう考えると、日本はかなり貴重な国だったのです。

「バンド=アイドル」だった時代

また、ビートルズが来日した1966年6月は、ロックにとってひとつの分岐点でもありました。この1ヶ月前にはビーチ・ボーイズが『ペット・サウンズ』、ビートルズもこの1ヶ月後の8月上旬に『リボルバー』という、今日の「ロック・オールタイム・アルバム」の投票で世界的に上位常連の作品が世に出ました。ただ、奇しくも前者は日本を含め世界中のファンを困惑させ、後者も初期のビートルズのスタイルを愛していたファンに疑問を抱かせるなど、必ずしも後年のような評価を受けていたわけではありませんでした。

そのことにも象徴されるように、日本ではこの後もしばらく「バンド=アイドル」なイメージが続いていくこととなり、「ミュージック・ライフ」や「ティーン・ビート」といった洋楽専門誌のグラビアを華やかに飾ることになります。最大人気はもちろんビートルズ。そしてローリング・ストーンズがそれに続く人気を獲得していましたが、それも音楽性以上に 「ビートルズが良い子でストーンズは不良」のイメージ作りの上手さと、ミック・ジャガーのアイドル性あってのものでした。

Rolling Stones「(I Can’t Get No)Satisfaction」

そしてそこに、ウォーカー・ブラザーズと、「ビートルズ主演映画のアメリカTV界からの回答」とでも言うべきモンキーズが登場します。モンキーズは世界的に放送されていた主演ドラマの影響で世界的な人気がありましたが、異色だったのはウォーカーズでした。ウォーカーズは英米でもそこそこ人気はあったものの、日本での人気が突出していました。それはバリトンの美声で歌うスコット・ウォーカーをはじめ、彼ら3人が全員美形だったこと、彼らがシャンソン風の音楽性だったことで、まだロックになじめない人に入り易かったことなども考えられますが、これは、ビートルズがアイドルから成熟していくことでファン離れするのを恐れたミュージック・ライフが所属レコード会社と組んで行なったものだとも言われています。彼らは来日を重ね、68年には当時の外タレとしてはきわめてめずらしく 「不二屋ルックチョコレート」でTV-CMの出演も果たしました。

こうしたウォーカーズの人気は「日本独自」と長らく見られていましたが、後年、スコット・ウォーカーはヴォーカリストやソングライターとしての音楽的評価がイギリスのロック界で高まり、2007年には彼の音楽人生を追ったドキュメンタリー映画「30 Century Man」まで製作されたほどでした。

ウォーカー・ブラザーズ「不二屋ルックチョコレート」のCM

また、ウォーカーズ同様にハーモニーとアイドル性で勝負したグループにオーストラリアのビージーズがいましたが、彼らも日本で早くから注目され、68年、シングル「マサチューセッツ」が、当時まだ日本で出来たばかりの公式ヒットチャート「オリコン」で、外国人アーティスト初のナンバーワン楽曲になるほどの人気を得ました。

「ロンドンのシーン」の実際のところは?

ただ、そうしたアイドル路線一辺倒になってしまったことで、せっかくイギリスからのバンドをこの時期にたくさん体験することが出来たのに、その理解が一面的なものになりがちだったことも否めません。

日本では、いわゆる「リヴァプール・サウンド」という言葉に象徴されるような、さわやかで軽やかなビートが好まれましたが、ロンドンでは、ローリング・ストーンズに代表される、マニアックな志向の若いアーティストたちがジャズ・クラブに集まっては、アメリカで白人が聴かずに来たような1940~50年代のアメリカのブルース・アーティストたち、たとえばマディ・ウォーターズハウリン・ウルフジョン・リー・フッカーなどのブルースマンのカバーをしていました。それをやがてストーンズやヤードバーズなどがオリジナルのロックンロールに変えていき、ロックの指針を動かします。

そして、この当時ロンドンは“スウィンギング・ロンドン”と呼ばれたほど、音楽のみならずファッションの中心地でもありました。そのことは当時のスーパーモデル、ツィッギーが67年に来日しミニ・スカート・ブームを起こしたことでも日本に伝わっていますが、当時のイギリスの音楽界でファッション・リーダーとなっていたザ・フーキンクススモール・フェイセズが中心となった“モッズ”のブームに関しては伝わり損ね、わずかにザ・フーが「ハッピー・ジャック」で多少ヒットしたのみに止まりました。ジャズ・クラブでブルースをセッションする若者が裕福な家庭の子女だったのに対し、労働者階級の若者が週末だけドレスアップし、自分たちの言葉で自分の世代について語り、“パワー・コード”とも呼ばれる力強いギター・コードをかき鳴らした、いわばその後の“パンクの元祖”とも言えるモッズが日本で理解されるのは10数年あとのことでした。

GSも空前のアイドル・ブームに

そして、66年後半あたりから日本国内でもビートルズの影響を受けたバンドのシーンが目覚ましくなります。それはブルーコメッツが「ブルーシャトウ」で67年の日本レコード大賞の大賞を受賞したことで決定的になり、このブームを世間は「グループ・サウンズ(GS)」と呼ぶこととなります。

このブームは、当初はウェスタン出身のブルーコメッツ、同じくウェスタン~ロカビリーの時代からのミュージシャンのかまやつひろし井上堯之大野克夫の実力派に堺正章井上順のアイドルをフロントに据えたスパイダーズ、エレキブームから活躍する寺内タケシブルージーンズ加瀬邦彦ワイルドワンズなど、自作曲も書ける実績派がシーンを牽引していました。

ただ、GSが爆発的な人気を獲得したのはやはりスーパー・アイドルの登場ゆえでした。その筆頭が京都出身の5人組、ザ・タイガースでした。彼らは渡辺プロ、すぎやまこういちといった「ザ・ヒットパレード」の製作陣のバックアップも受け、フロントマン、沢田研二の爆発的人気もあり、67年の後半から一躍GS一の人気バンドとなりました。以来、出す曲出す曲をヒットチャートの上位に送り込んだ彼らは、ビートルズ同様に主演映画も製作し、68年には日本のアーティストで初となる日本武道館公演も実現させます。

タイガースの映画『世界はボクらを待っている』より「モナリザの微笑」

このタイガースに続いて、萩原健一をフロントに据えたテンプターズや、ステージでの失神パフォーマンスで話題を呼んだオックスなども人気アイドルとなりました。彼らは少女漫画界から熱烈に歓迎され、「マーガレット」「なかよし」「少女フレンド」などで人気投票や付録、さらには自身が漫画キャラクターとして描かれました。こうした「バンドの耽美化」は、後のクイーンや、ヴィジュアル系の日本での盛り上がりの原型にもなりました。

GS勢はシングル曲になると歌謡曲調のマイナー・バラードになることや芸能プロダクションがマネージメントすることで批判も受け易かったことも事実ですが、自作曲バンドの比率がさして高くなかったのはイギリスでも珍しいことではなく、また、国産のバンドだけでチャートの上位が独占できるほどのバンド数をこの当時に供給できた国も英米の他にオーストラリアやオランダなどがある程度で世界的にも珍しいものでした。事実、アメリカのロック誌、ローリング・ストーンはGSの動きに関心を持ち、69年3月発売の号でタイガースを表紙にもしたほどでした。

米ローリング・ストーン誌(1969年3月)

タイガースが表紙を飾った米ローリング・ストーン誌(1969年3月)
左は岸部シロー、右は沢田研二

参考文献

■WEBサイト
団塊世代の思い出
ヒットチャート
9500万人のポピュラーリクエスト
糸居五郎 Wikipedia
吉田拓郎 Wikipedia
鮎川誠 Wikipedia
井上陽水 Wikipedia
1960年代 外国のヒット曲
アイル・フォロウ・ザ・盤
勝ち抜きエレキ合戦 Wikipedia
The Beatles Live In Japan Document 1966
List Of The Beatles Live Performances
ミュージック・ライフ歴代表紙
りぼんコミック 創刊号
DDN Japan

■書籍

「ロック革命時代―1965‐1970
強者ロッカーを生み出したロックの激動期」
青柳茂樹著 シンコーミュージック
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そうだったのか!日本現代史」
池上彰著 集英社文庫
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「日本ロック紀(GS編)」
黒沢進著 シンコーミュージック
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「決定版!!ビートルズ白書(1981年) 」
東芝EMI音楽出版
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「CDジャーナルムック 漣流」
和田彰二著 音楽出版社
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「ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た―伝説の呼び屋・永島達司の生涯」
野地秩嘉著 幻冬舎
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