コラムスピン :第106回:「ロックと日本の60年」第7章 日本型アーバン・ミュージックの生成

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第106回:「ロックと日本の60年」第7章 日本型アーバン・ミュージックの生成

第6章のクィーンやKISSの時代を経て、大学生~20代を中心にウェスト・コースト、ディスコ、AOR、フュージョンが人気となる70年代後半、オカサーファー・ファッションの頃の話です。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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1970年代初頭の学生運動が落ち着き、70年代半ばから後半にかけて、クイーンが世界に先駆けて日本で人気に火がつき、華やかなアイドル性と実力を兼ね備えたアイドル・バンドのブームが起こったことを前回はお話ししましたが、今回はそうしたバンドにキッズが夢中になっていた頃に、大学生やロックで育った大人たちが何を聴いていたかについて語っていきましょう。

70年代初頭の日本でのブラック・ミュージックは?

この章ではまず70年代初頭における日本でのソウル・ミュージックの話から始めましょう。68年にオーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」(第4章参照)の大ヒット(第4章参照)やブルース・ロックのブーム(第4、5章参照)などで日本人はブラック・ミュージックに近づきやすい状況にはなっていました。ニュー・ミュージック・マガジンでは編集長の中村とうよう(第5章参照)や後にブルース専門レーベル「P-Vine」を創立することになる日暮泰文らが誌面上で積極的にブラック・ミュージックを紹介しました。また、赤坂ムゲン(第5章参照)を皮切りに、71年に現在のクラブの元祖である日本ではじめてターンテーブル2台で踊らせる六本木メビウス、74年には初のブラック・ミュージックに完全に特化した六本木アフロレイキなどディスコも登場してきます。また、米軍横田基地の近い東京・福生や同じく横須賀基地の近い横浜でもソウルバーやディスコが盛んになります。また、FENや「全米トップ40」(第5章参照)の上位でも、ソウル・ミュージックは聴けました。「ブラック・イズ・ビューティフル」をスローガンに、この時代はソウル・ミュージックの一大黄金時代でもありました。

しかし、それが日本のラジオの洋楽チャートとなると、そういう空気がほとんど反映されませんでした。この手のヒットパレードでコンスタントに人気があったのはせいぜいスティーヴィー・ワンダーくらいで、あとはロバータ・フラックオージェイズなどが少々。フィンガー5(第2章参照)が「和製ジャクソン5」と言われ73年頃にブームになろうと、その肝心なジャクソン5の日本でのヒットがそれほど多いわけでもありませんでした。

Stevie Wonder「Higher Ground」

また、輩出されるミュージシャンも、上田正樹とサウス・トゥ・サウスウエストロード・ブルース・バンド憂歌団など関西にブルース・ロック色の濃いシーンが作られ、小坂忠や“和製ローラ・ニーロ”とも呼ばれた吉田美奈子など、かなりソウルフルな歌唱力を持ったシンガーも出て来ますが、彼らもまだこの当時は「アメリカン・ロックの範疇内での黒っぽさ」を表現した感じでした。この当時、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのようなファンキーなベースラインを主体とした大所帯のファンク・バンドや、マーヴィン・ゲイのようなストリングスやホーン、自身の声の多重コーラスを多用した音楽性を表現するには当時の日本の若者では非常に難しいものでした。

そのせいか、むしろ“裏方”の職人の方にソウルフルなフィーリングが感じられる表現がこの時期の日本の音楽から生まれています。その一例がテレビドラマの音楽です。「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」といったドラマでは当時アメリカで大ヒットした黒人映画のサントラ、たとえば「黒いジャガー(Shaft)」でのアイザック・ヘイズや「スーパーフライ」でのカーティス・メイフィールドのファンキーなグルーヴを彷彿させるインストゥルメンタルが鳴っていました。手がけていたのは元スパイダーズPYG井上堯之大野克夫が中心の井上堯之バンド。当時、沢田研二のバッグバンドをつとめる傍らで彼らが行っていたこれらの仕事はヒップホップの時代以降に日本のサンプリングの格好のネタ元として注目もされました。

また、和田アキ子西城秀樹欧陽菲菲などの歌謡曲のアレンジにソウルフルでファンキーな傾向が見られたのもこの時期です。そして歌謡界でこうしたソウルフルなアレンジを得意としたのが筒美京平でした。

日本でのソウルの状況を変えたフィリー

70~80年代のアイドルへのヒット曲の多さで知られる筒美ですが、彼のソウル系への強さは70年代半ばに発揮されます。その象徴とも言えるのが75年、アメリカのガールズ・ソウル・グループ、スリー・ディグリーズに提供し大ヒットした「にがい涙」(歌詞も安井かずみによる日本語詞)でした。

この「にがい涙」に至るまでのストーリーはこうです。スリー・ディグリーズは、アメリカの大人気ソウル・ダンス番組「ソウル・トレイン」の音楽監修もつとめた売れっ子プロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフの手がけるアーティストでした。しかし、アメリカ本国で“ギャンブル&ハフ”といえばオージェイズハロルド・メルヴィン&ブルーノーツであり、彼女たちは格下の存在に過ぎませんでした。しかし74年、TBS主催の国際的音楽祭「東京音楽祭」にアメリカ代表として参加したところ、そこで歌った「天使のささやき」が銀賞を受賞し、これが日本で大ヒット。それは半年後、アメリカに逆輸入され全米2位まで上昇するヒットにまでつながりました。

このヒットで、スリー・ディグリーズは日本にソウル・ディスコのブームを持ち込み、スタイリスティックスヴァン・マッコイなどの日本でのヒットもそれに続きました。これらのアーティストは手がけるプロデューサーがフィラデルフィアのスタジオを拠点としていたことから“フィリー・ソウル”とも呼ばれていましたが、日本の音楽界が「和風フィリー・サウンド」を作るべく託したのが筒美でした。泥臭さのない華麗なストリングスにスムースなリズムを挟み込むこのアレンジを体得した筒美はそこに日本人らしい哀愁味の溢れるメロディを挟み込み「和風フィリー・サウンド」を作ったのです。

スリー・ディグリーズ「にがい涙」

筒美のこうした手腕は「架空の洋楽ディスコ・バンド」のコンセプトで作られたDr.ドラゴン&オリエンタル・エキスプレスの「セクシー・バス・ストップ」でも発揮(実際、日本では洋楽チャートでヒット)され、さらに自身の手がける岩崎宏美郷ひろみのヒット曲などにも反映されていきます。

なお、このフィリーのブームの頃、「オールナイト・ニッポン」のベテラン看板DJの糸居五郎(第3章参照)が同番組を一時降板し、自身の愛するソウル・ミュージックにこだわった「ソウルフリーク」という番組を立ち上げたり、テレビ東京で「ソウル・トレイン」が不定期ながら放送されたりもしました。 さらに東京音楽祭にその後、アメリカ代表として、アル・グリーンチャカ・カーンなど多くのソウル系アーティストの来日が相次ぐなど、日本でのソウル・ミュージックに関しての理解も高まっていきます。

シンガーソングライターのジャズ、ソウル化

同じ頃、当時はクロスオーバーとも呼ばれていたフュージョンのブームがやってきます。フュージョンは元々はマイルス・デイヴィスウェザー・リポートといったジャズ系アーティストがロックやソウルの影響を受けてエレキギターやエレクトリック・ピアノを使ったことからはじまったものですが、そのフュージョンにロッカーも興味を抱いたのです。それはサンタナカルロス・サンタナがジャズ・ロック系ギタリストのジョン・マクラフリンと共作アルバムを発表したりジェフ・ベックが『Blow By Blow(邦題「ギター殺人者の凱旋」)』などのインストのアルバムを発表したことで顕著になります。当時のロック・ギタリストで屈指の人気だった彼らのこの流れは日本にも伝播し、クリエイション竹田和夫高中正義なども影響を受けます。

加えて、アメリカン・ロックでもフュージョン化がはじまります。ジェイムス・テイラージョニ・ミッチェルは1974年頃からフュージョン系のプレイヤーをセッションに加えジャズ、ソウル色の濃いサウンドを展開するようになり、その過程でブレッカー・ブラザーズラリー・カールトンザ・クルセイダーズのメンバーなどのセッション・ミュージシャンの名がロック・ファンにも知られるようになります。また、ニューヨークのバンド、スティーリー・ダンもロサンゼルスを拠点にレコーディングを行ない、完璧主義ゆえ自身のメンバーを切ってまでスタジオ・ミュージシャンを起用し、こうしたジャズ、ソウルの影響下のアメリカン・ロックを完成させて行きます。

Joni Mitchell「Help Me」

そして日本でも同様の動きを見せるアーティストも存在しました。元はっぴいえんど細野晴臣鈴木茂を中心としたキャラメル・ママをバックにしたユーミンこと荒井由実は、スタジオ・ワークによるアーバンなサウンドを背景にして都市風景の中の若者の姿を描き独自の世界観を築いていきました。ユーミンの場合、後に夫となる松任谷正隆の影響で、同様にフュージョン系セッション・ミュージシャンを多く配したマイケル・フランクスのアルバム『The Art Of Tea』に強い影響を受けたことでも知られています。このアルバムの存在は原宿の当時の人気専門レコード店「メロディ・ハウス」でもプッシュされ、シティ・ポップの典型的なサウンドの1つとなります。フランクスにおいてはNHK-FMで渋谷陽一の「ヤングジョッキー」で77年8月に紹介されて浸透もしました。ブリティッシュ・ロック・イメージの強い渋谷としては意外な事実です。 ただ、サウンド面そのものまで含めて当時の西海岸のシンガーソングライターの方向性に近かったのはむしろシュガーベイブのほうでしょう。山下達郎大貫妙子の2枚看板ヴォーカリスト&ソングライターを擁する彼らは、60s後半のラスカルズなどのブルー・アイド・ソウルや、70s初頭のアメリカン・ロックのカバーも積極的に行なったソウル・グループのアイズレー・ブラザーズなどといった、当時の日本においてかなりマニアックな部類のサウンドを日本に取り入れて表現しました。シュガーベイブは商業的には大成することなく解散しますが、解散後にソロに転じた山下はユーミンともども、メジャー・セヴンスや分数コードなどのコードのエッセンスを取り入れ、日本のポップ・ミュージックの洗練化に貢献していきます。

シュガーベイブ「Downtown」

このユーミンやシュガーベイブの流れから日本で「シティ・ポップ」の概念が生まれていき、センチメンタル・シティ・ロマンス南佳孝杉真理、さらに竹内まりや杏里などが続いていくことになりました。

ウェスト・コースト・ファッションの流行とAOR

そして1976年。洗練された西海岸のロックを日本で後押しする動きが生まれます。それが男性ファッション誌「POPEYE」の創刊でした。同誌は売り出す際にアメリカ西海岸でのアロハ・シャツにサーフ・パンツのサーファー・ファッションを「ウェスト・コースト・スタイル」として紹介し、これが大ヒットしたのです。そして、その波に支えられ、ウェスト・コースト・ロックが日本でもオシャレなものとして浸透して行きます。奇しくもその当時、イーグルスをはじめLAを拠点とするアーティストがビッグ・セールスを記録している最中で時節柄ちょうど良く、実際に日本でもイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』は77年のオリコンの洋楽年間アルバムでも1位にもなっています。

ただ、日本のファンにこの後にかけて長く愛されていくことになるのは、洗練されたソウルフルで軽快なスタイルのものでした。その代表格が、アルバム『シルク・ディグリーズ』のジャケ写でドレスアップしたボズ・スキャッグスや、スティーリー・ダン人脈のマイケル・マクドナルドが加入したと同時にバンカラ・イメージから都会的なグループに変身したドゥービー・ブラザーズでした。ロギンス&メッシーナを解散してソロに転じケニー・ロギンスマイケル・マクドナルドとの共作などを通してこの路線に加わります。

Boz Scaggs「Lowdown」

これらのアーティストはアメリカだと、既に30歳近い年齢のアーティストによる丸くなった音楽として「ソフトロック(日本での同語の意味とは全く異なります) 」「MOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)」など、やや皮肉も込めて呼ばれていますが、日本ではこれがアダルト・オリエンテッド・ロック、略してAORという独自の造語(アメリカにも言葉は存在しますがAlbum Oriented Rockという全く別の意味)で呼ばれていきます。つまり、「大人だから表現できるロック」として、むしろこれから大人になる若い人に成熟してクールになることを促すような意味に換えられ伝えられました。そしてそれは70年代後半から80年代初頭にかけて強い影響力を持つこととなります。

世界が空前のディスコ・ブームに

一方、1970年代後半にかけて空前のディスコ・ブームが世界を襲います。ディスコそのものは先述した「ソウル・トレイン」でのフィリーのブームにも現れていたように当初はソウル・ミュージックのイメージが強くはあったのですが、この頃にもなると、よりソウル色を落とした白人的なKC&ザ・サンシャイン・バンドを代表とするマイアミ・サウンドも入り、さらにヨーロッパからのダンス・ビートも加わるようになりました。

とりわけ77年と78年は大きな年となりました。この時代のディスコ・ガールのアンセム「ダンシング・クイーン」を大ヒットさせたスウェーデンのヴォーカル・グループのアバはヨーロッパ最大のヒットメイカーになったのみならず、日本でも当時、ビリー・ジョエルクイーンと共にもっともラジオで曲のかかる洋楽アーティストとなりました。また、ニューヨークのディスコ・バンド、シックはギタリストのナイル・ロジャースのキレの良いカッティングに汗臭さのない華麗なストリングスと妖艶な女性コーラスでセクシーにフロアを彩りました。さらに、よりエレクトロ・ビートを強調したプロデューサー、ジョルジオ・モロダーのミュンヘン・サウンドに乗りドナ・サマーがビッグヒットを連発しはじめ、日本でも79年の『Bad Girls』で人気を決定づけます。モロダーとナイルは2010年代のエレクトロのブームの際、ダフト・パンクにフィーチャーされ再評価も高まりました。

そして77年12月に公開された映画、ジョン・トラボルタ主演の『サタデディ・ナイト・フィーヴァー』がディスコを世界的現象にまで押し上げます。サントラの大半を手がけたビージーズは「ステイン・アライヴ」「恋のナイトフィーヴァー」を全世界的に大ヒットさせ、この時代のディスコを象徴するアンセムにし、サントラは24週にわたり全米1位に輝きました。この頃には日本もご多分に漏れずディスコが開店ラッシュに湧きました。

Bee Gees「Staying Alive」

こうしたディスコ・ブームはロック・アーティストにも飛び火し、78年から79年にかけてローリング・ストーンズの「ミス・ユー」、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」、KISSの「ラヴィン・ユー・ベイビー」といった、今日まで知られるビッグヒットも生まれました。ただ、時が経つにつれいたるところでディスコを耳にせざるを得ない状況が続いたことや、西城秀樹のカバーで日本でも現象的ヒットとなった「YMCA」を歌ったゲイ・グループのヴィレッジ・ピープルのように(ゲイ・カルチャーはディスコ以降もクラブ・カルチャーには不可欠な要素ではあるのですが)、存在としてキワモノ扱いをされるようなものが増えたりしたことで、ロック・リスナーにしびれを切らす人たちが増えてしまいました。79年5月にはシカゴの野球場でディスコ・レコード焼き討ちパーティが行われるなどバッシングも生まれ、そのうちブームも下火となりました。折しも、その頃、日本のトップ・アイドルだったピンク・レディが全米デビューを果たし、シングルがブームの終わるギリギリのタイミングくらいで全米トップ40入りを記録しています。

1980年前後のAORの大ブーム

こうしてディスコ・ブームはアメリカでは1979年で終わったことになっているのですが、日本では大学生向けに入場料を低価格にした“サーファー・ディスコ”のブームが起こり、それが80年代の初頭まで続きます。その過程で「キサナドゥ」などの伝説の人気ディスコも生まれ、髪をレイヤードにカットした女子大生が多く集ったことで話題となりました。

このサーファー・ディスコの時代に、ブラック・ミュージックがフロア・アンセムとして愛されるようになります。筆頭格はアース・ウィンド&ファイアコモドアーズクール&ザ・ギャングなど。これは一見、大所帯ファンク・グループが日本でようやく受け入れられた瞬間のようにも見えますが、しかし、こうしたバンドは既に変容しはじめていて、ファンキーな楽曲よりも、ミドル・テンポ、さらにはラヴ・バラードを売りにするようになっていました。こうしたところにもAOR感覚は既に入り込んでいたのです。

Commodores「Sail On」

この頃からソウル・ミュージックは、バンドの人員を減らし、シンセ・ベースやリズム・マシーンを主体にしたものへ変わり“ブラック・コンテンポラリー”と呼び名を変え、それらがサーファー・ディスコでよく流れました。その中のひとつに、ジャクソンズ(かつてのジャクソン5)から本格的にソロ活動をはじめたマイケル・ジャクソンもあり、彼のプロデュースを手がけたクインシー・ジョーンズの代表曲「愛のコリーダ」もありました。

70年代後半、アメリカはなにも洗練だけに向かったわけではありません。映画に目を向ければベトナム戦争の爪痕をテーマにした『タクシー・ドライバー』『ディア・ハンター』『地獄の黙示録』のような重い作品が存在したし、アメリカのロックに目を向けても、「ロックの未来」と最も期待されたのは、3時間超の情熱的なライブを行ない、社会や時代の矛盾を鋭くつき続けるロックンローラー、ブルース・スプリングスティーンでした。また、西海岸の繊細なシンガーソングライターのイメージだったジャクソン・ブラウンも周囲がソフトになる中、メッセージ性と力強さを高めていきました。

ただ、アメリカ、日本共にこの頃にAORが好まれたのは事実です。アメリカではグラミー賞でも80年に、CMソングをキッカケに日本でも爆発的人気を誇ったしビリー・ジョエルドゥービー・ブラザーズリッキー・リー・ジョーンズで主要4部門(レコード、アルバム、楽曲、新人)を独占、81年にはフラミンゴのイメージ・キャラクターのクリストファー・クロスが主要4部門制覇、83年にはボズ・スキャッグスのバックバンドから派生したバンド、TOTOが6部門を独占する勝利を収めたほどでした。

また、アース・ウィンド&ファイアのバラード「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」をプロデュースしたデヴィッド・フォスターのプロジェクト、エアプレイが日本独自のヒットを記録したのをはじめ、ボビー・コールドウェルジョン・オバニオンなど、本国を遥かに超える人気のアーティストも日本では生まれます。オーストラリアのバラード・バンド、エア・サプライの売り出しとして、日本盤のみ気球のイメージ写真が使われたのもその一例です。また、フォスターに関しては「素直になれなくて」をはじめシカゴの80年代の復活を支えたことも重なりカリスマ化もしていきます。

一方日本のアーティストでもオフコースが、スティーリー・ダンボズ・スキャッグスのアルバムを手がけたビル・シュネーをエンジニアに迎え、ヒットを連発しはじめます。さわやかなAORの一般イメージとは対照的な小田和正の陰影ある世界観は枠に収まらない一種独特の雰囲気を生みました。また、矢沢永吉も80s前半に、ドゥービー・ブラザーズのメンバーと共演を行なうなどAOR路線でアメリカ進出を目指しました。

オフコース「Yes No」

参考文献

■WEBサイト
なつかしの70年代ポップス
東京ディスコ伝説
1970年代のディスコの話
井上堯之バンド Wikipedia
ORIGINAL LOVE Diary 2009年2月5日
Soul Searchin’ No.359 2003/08/20
NHK-FM 渋谷陽一の「ヤングジョッキー」オンエア・リスト
鰻谷アロハ通信 2011年2月13日
ディスコ・デモリッション・ナイト Wikipedia
History of DISCO 日本におけるディスコの歴史年表
ビル・シュネー Wikipedia

■書籍

「洋楽inジャパン’68‐’86―日本で流行ったロック&ポップス」
稲増龍夫著 学陽書房
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「スーパースターの時代(ロックの歴史)」
天辰保文著 シンコーミュージック
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「ジャパニーズ・シティ・ポップ (ディスク・コレクション)」
木村ユタカ監修 シンコーミュージック
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「AOR (ディスク・コレクション)」
中田利樹監修 シンコーミュージック
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「フュージョン (THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIES)」
熊谷美広監修 シンコーミュージック
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「70’s goods manual」
ネコ・パブリッシング
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