コラムスピン :第108回:「ロックと日本の60年」第9章 80s前半、MTVとポップス黄金時代

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第108回:「ロックと日本の60年」第9章 80s前半、MTVとポップス黄金時代

「ベストヒットUSA」でミュージックビデオを見ながらチャートをチェック。洋楽ロックはポップス化し、日本では山下達郎、ユーミン、サザンそして大滝詠一「ロンバケ」に「いけないルージュマジック」の頃です。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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1970年代の日本のロックの状況を説明するのに5章から8章と4章を費やしました。それが終わり今回はいよいよ80年代に突入します。現在、テレビやラジオなどで「なつかしの洋楽」などと謳って特集が組まれる際、目立って多いのが80年代ということもあり、この時代は日本の音楽ファンにとりわけ人気ですが、この時代の実態は一体どんなものだったのでしょうか。

80年代初頭の洋楽ロック

80年代という時代は、とりわけ日本にとっては楽天的で明るい時代でした。東西冷戦こそ残ってはいたものの、ベトナム戦争のように日本が巻き込まれるのを心配するような戦争もなく、国内総生産(GDP)はほぼ常時3%以上の水準で上昇し続け、日本製の自動車や家電が世界の市場を独占し、財政赤字に悩むアメリカや慢性的な高失業率に苦しみイギリスなど、他の先進国に脅威に映るほどの上昇気流にありました。

そして、とりわけ80年代前半は、文化的に“通俗”と“知的”が上手いバランスを取っていた時代でもありました。浅田彰中沢新一のニュー・アカデミズムや、村上春樹村上龍といった、当時まだ30代だった文壇の新世代の小説が注目され、彼らの作品ではロックとの接点も頻繁に見られました。また、ビートたけしタモリなどのお笑いが知性として文化的に語られたものでした。このように、うまく社会の規範にはまれば楽に生きられる時代ではありましたが、その一方で加熱する“学歴優先”の価値観から漏れた子供の苛立ちから中高生の校内暴力が社会問題化する一面もありました。

そんな80年代、洋楽ロックはショックなニュースから幕を開けました。9月にレッド・ツェッペリンがドラマー、ジョン・ボーナムの死によって解散、そして12月にはジョン・レノンが暗殺されこの世を去ってしまいます。60年代、70年代のロックを牽引してきたアイコンの喪失は、決定的なシーン全体の牽引者が結局出なかった80sのロック界の群雄割拠を示唆するかのようでもありました。

80年代初頭、洋楽のロックでの人気は、アメリカではAORが強く(第7章参照)、イギリスではニュー・ウェイヴの時代(第8章参照)でした。前者は、従来のリゾート感覚的なブルー・アイド・ソウル路線に、アメリカ版のプログレ系バンドだったジャーニースティクスREOスピードワゴンが甘いバラード路線で接近します。彼らはこの時代のアメリカで最大規模のアリーナ・バンドになりましたが、パンク/ニュー・ウェイヴ派には仮想敵扱いもされ、渋谷陽一に「産業ロック」と命名されることにもなりました。一方、ブルー・アイド・ソウル路線だったダリル・ホール&ジョン・オーツはニュー・ウェイヴ感覚を取り入れたサウンド・メイキングで他のAORとの差別化に成功しシングル・ヒットを連発していくこととなります。

Journey「Don’t Stop Believin’」

そして、ヘヴィ・メタルをこの時代のもうひとつの大きな勢力として加えるべきでしょう。ハードロック・バンド・アイドルのブーム(第6章参照)が落ち着いた頃、より男っぽい支持層を率い、メタルが台頭します。77年のパンクの勃興(第7章参照)以降、“旧勢力”のレッテルを貼られてしまった観もあったブリティッシュ・ハードロック勢でしたが、1980年、アイアン・メイデンのデビューの頃に起こった“ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル”(NWOBHM)の波に乗って息を吹き返します。これは、パンクの疾走感をハードロックのエネルギーに転化させた主に若いバンドによるムーヴメントで、この波に刺激され、ベテラン組も復活を果たした訳です。この動きは、当時イギリスに渡って直に生で体験した伊藤政則が日本に持ち帰り、放送や雑誌を通じ積極的に働きかけ、その波が広がっていきます。

ただ、日本の場合は、若手より“ディープ・パープル・ファミリーの復活”が優先された印象も強いです。それは76年のパープル解散後も、リッチー・ブラックモア率いるレインボーがそれを引き継ぐ型で日本での人気を持続させていたことが理由としてありますが、このパープルの元メンバーのデヴィッド・カヴァーデイルジョン・ロードらの組んだホワイトスネイクレインボーを脱退した人気の凄腕ドラマー、コージー・パウエルの加入したマイケル・シェンカー・グループ、元レインボーのヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオの加入した新生ブラック・サバスといったパープル系人脈が相次いで全英トップ10アルバムを生み出した影響も大きいものでした。また、シン・リジーに一時加入したゲイリー・ムーアマイケル・シェンカーなど、泣き節ギターがここでも人気を博します。

Rainbow「I Surrender」

同じ時期、アメリカでもメタル人気が出はじめますが、人気を牽引したのはむしろ、オーストラリアのAC/DCやサバスの元フロントマンのオジー・オズボーンなど、悪魔イメージを持ち、うねるリフに強みを持つアーティストでした。このあたりの好みの差は、後に日本とアメリカでのメタル・シーンの違いとしてハッキリ現れることにもなります。またジューダス・プリーストモーターヘッドなど、黒レザーに身を包んだいかついバンドが、人気を博しますが、特にモーターヘッドはパンク好きにも支持を得ます。

また、このブームに刺激され、国産のメタル・シーンも活気づき、ラウドネス(第6章参照)、アースシェイカー44マグナム浜田麻里などが次々とデビューを飾り、特にラウドネスは海外を視野に入れた活動を展開し、80年代半ばにアルバムが2枚連続でビルボードの100位以内に入る大健闘も見せ、BOW WOW(第6章参照)改めVOW WOWもそれに続き、80年代末に2枚の全英アルバム100位内の作品を出すなど、世界展開も目立ちました。

「シティ・ポップ」と「ニュー・ウェイヴ」の時代の日本

80’s初頭の邦楽は70s末から引き続き、「シティ・ポップ派」と「ニュー・ウェイヴ派」が2大勢力でした。前者の中心は山下達郎松任谷由実サザンオールスターズ、そして、はっぴいえんど解散後の不遇時代を経て、“日本のフィル・スペクター”とも呼ばれたスタジオ・ワークの金字塔「A Long Vacation」を発表した大瀧詠一でした。大瀧は70年代にCMやラジオ番組の作成の際に人脈を広げ、山下をはじめとした仲間を多く持ちましたが、佐野元春もその1人でした。当時、ブルース・スプリングスティーンとも比較された佐野のスタイルは、アメリカのロックがAORから徐々にスプリングスティーンを筆頭に、トム・ペティジョン・クーガー(後にジョン・メレンキャンプ)、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースブライアン・アダムスなど、埃っぽく一本気になって行く流れともうまくシンクロしてもいました。

大滝詠一「恋するカレン」

また、後者の中心はやはりYMORCでした。81年には坂本龍一忌野清志郎の共演曲「いけないルージュマジック」や、YMOのサポートメンバーだった矢野顕子の「春先小紅」が大ヒット。また細野晴臣は、はっぴいえんどの旧友で当時人気作詞家になっていた松本隆とタッグを組み、松田聖子など人気アイドルへの提供曲を大ヒットさせます。

そして、日本で先行人気だったジャパン(第6章参照)が坂本龍一との交遊を通じYMOに強い影響を受けます。彼らは81年頃にイギリスで人気に火がついた矢先に解散することになりましたが、そのラスト・ツアーに日本から一風堂土屋昌巳をギタリストに迎えました。その真っ最中に一風堂が「すみれSeptember Love」を大ヒットもさせます。

忌野清志太郎&坂本龍一「いけないルージュマジック」

FMと本場のランキングの時代

これらの「シティ・ポップ」「ニュー・ウェイヴ」は、この当時台頭著しかったFMの邦楽の顔となりました。ちょうどこの頃、ウォークマンや貸レコード店の登場でカセットテープの需要が急速に伸び、それに伴いAMから高音質のFMへの切り替えが進みました。70年代まではFMが東名阪福の大都市圏にしかなかったことで全国ネットのAM局に遅れを取っていたのですが、この頃からFM開局ラッシュが政令指定都市を皮切りに活発化します。

これまで洋楽の発信地となっていたAMの深夜放送が、フォーク系の人気シンガーや当時の人気お笑いタレントによるトーク中心のものへと重心を移したことも、洋楽、そして洗練された日本の音楽がFMに移行する理由となりました。そんなソフィスティケイト路線は1981年に創刊されたFM誌、FM ステーションが、山下達郎のアルバムのデザインも手がけた鈴木英人の鮮やかなイラストを表紙に使い部数を伸ばしたことにも象徴されています。またFMでは、AMと差別化すべくアーティストDJもトークではなく、自身のマニアックな音楽感性に忠実なものが目立ちました。その代表がNHK-FMの月〜金の午後9時の帯番組「サウンド・ストリート」で、山下達郎坂本龍一佐野元春が通な選曲で人気を集め、さらに評論家で唯一参加の渋谷陽一が硬派かつ歯に衣を着せない喋りでFM誌のベスト、ワーストDJの人気投票で共に上位にランクインする注目度の高さで知られてもいました。

そして、この時期、洋楽ファンの環境に影響を与えていたのはFMやカセットテープだけではなく、テレビ番組も同様でした。その象徴とも言えたのが、1981年にテレビ朝日ではじまった「ベストヒットUSA」でした。YMOとも共演したラジオ番組「スネークマン・ショー」でスネークマンを演じていた小林克也の野太い美声による流暢で軽快な英語に乗ったアメリカン・スタイルのこの番組は、日本の洋楽番組のテンポを変え、さらにアメリカの業界紙ラジオ&レコーズのチャートを、当時制作されはじめていたばかりのミュージック・ビデオの数々と共に紹介しました。この番組のヒットにより、これまでAMで盛んだった「日本の洋楽チャート」ではなく、本場のヒットチャートへの一般の関心が高まり、さらに「洋楽を目で楽しむ」ことに好奇の目が注がれることになります。その意味でこの番組は世界的なその後の音楽の流れさえ一足先に予見していました。

MTVがやってきた

ベストヒットUSA」放送開始から4ヶ月後の81年8月、アメリカでMTVが開局します。「ミュージック・ビデオの番組が24時間見ることができる」という夢のような話は、ほどなくして洋楽ファンの耳にも届くようになり、日本ではそのMTVの到来を待ち受けるように多くのミュージック・ビデオの番組が制作されるようになります。代表的なものはテレビ神奈川の「ソニー・ミュージックTV」や「ビルボードTop40」、TBSの「ポッパーズMTV」でした。特にピーター・バラカンがVJをつとめた後者は、この当時の日本の音楽番組にはなかった、本場欧米の音楽ジャーナリズムを持ち込んだ画期的な番組で、トム・ウェイツヴァン・モリソンなどの批評価値の高いアーティストや当時注目を浴びつつあったワールド・ミュージックなども流されたものでした。この時期はローカル規模でも日本各地に同種の番組が存在し、僕の当時住んでいた福岡県でも、九州朝日放送の「ベスト〜」にRKB毎日での「ポッパーズ〜」、FBS福岡の「ナイトジャック福岡」、テレビ西日本の「スーパーチャンネル」と4局で見ることができました。そして84年には一部ではテレビ朝日がMTVの番組の放送権を買い、短期間ながらMTVの看板番組を見ることができました。

MTVは局のブランド・イメージ戦略として、イギリスからのニュー・ウェイヴ・バンドのヴィデオを頻繁に流しました。当初はヒューマン・リーグソフト・セルのような無表情なエレポップが目立っていましたが、次第にアイドル性が高くファッショナブルなバンドが台頭し、デュラン・デュランカルチャー・クラブワム!などが次々と世界的なスターとなりました。彼らは日本でも当時爆発的な人気を誇り、いずれも日本でのテレビCMのキャラクターに起用されました。また、トンプソン・ツインズハワード・ジョーンズティアーズ・フォー・フィアーズユーリズミックスビリー・アイドルシンプル・マインズなどもこれに続き、これらの勢力は「第2次ブリティッシュ・インヴェージョン」とも呼ばれました。「ビデオの時代」ということもあり、シングルが復権した頃でもありました。

Duran Duran「Japanese CM」

また、MTVは国際化も早くから狙っていたこともあり、アイルランドやオーストラリアといった英米以外の英語圏、そしてドイツや北欧の英語で歌うアーティストのビデオも積極的に流しました。その結果、U2インエクセスメン・アット・ワークネーナa-haなども世界的な人気アーティストとなります。とりわけU2の存在は、勢いこれらのアーティストがポップ路線に流れがちだったところを、強い社会的メッセージと鋭いギター・サウンドでシーンに喝を入れる役割も果たしていました。

また、ニュー・ウェイヴ勢に対抗するように、ヘヴィ・メタル勢や、旧世代になりつつあった70年代のベイビーブーマー世代のアーティストたち(第5〜7章参照)も積極的にミュージック・ビデオの制作を行なっていきます。メタル勢でヴァン・ヘイレンやNWOBHMからいち早くアメリカで成功したデフ・レパードがMTVでの人気バンドとなる一方、フィル・コリンズや元メンバーのピーター・ゲイブリエルのソロを含むジェネシス勢や再結成したイエスなどのプログレの生き残り組、そして、ビデオにサウンド・アレンジでモダンさを強調したZZトップダイアー・ストレイツスティーヴ・ウィンウッドなどの渋趣味の勢力も対抗しました。こうした動きによりアメリカのヒットチャートは一気に多彩化しますが、この当時の洋楽リスナーは、これらを一連の「はやりもの」と捉え柔軟に受容していきます。この当時が洋楽リスナーが「ジャンル分け」を最も気にしなかった時期かもしれません。

Van Halen「Jump」

BIG3の時代

ただ、このMTVのブームで最も影響力を持ったのは、結果的にマイケル・ジャクソンプリンスマドンナの、当時”BIG3”とも呼ばれた3人でしょう。日本でもご多分に漏れず、この3人は大成功しました。

マイケルはアルバム『スリラー』で1983〜84年に37週全米1位という、今日まで破られていない大記録を打ち立てました。この当時は「黒人の誇り」を叫んだ60〜70sと異なり、黒人は社会で大成功するチャンスを得るも白人の流儀に従わないとそれが難しい「影のある洗練」の時代を迎えており、それはライオネル・リッチーティナ・ターナーの成功にも言えていたことでした。その中でマイケルは、黒人のビデオを流さなかったMTVに門戸を開放させ、当時ナンバーワンのハードロック・ギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンと共演し、さらには当時の売れっ子映画監督ジョン・ランディスを迎えた短編映画風ビデオ「スリラー」で一斉を風靡しました。

Michael Jackson「Billie Jean」

プリンスは、当時黒人のあいだで主流だったエレクトリック・ファンクの流れを汲みつつ、黒人音楽界ではきわめて珍しいグラムロック風のユニセクシャルなヴィジュアル・イメージを打ち出し、加えてハードロッキンなギターや中東風のストリングス・アレンジなどミステリアスな要素の組み合わせで、当時の白人よりも先進的なロックを表現しました。彼のアルバムならびに主演映画『パープル・レイン』も1984年に一大現象となりました。

また、マドンナシンディ・ローパーと共に、ニュー・ウェイヴを通過した「好きなように本音で生きる女の子像」をファッションや楽曲で表現し、1984年当時の世の女の子たちの強い共感を得ました。とりわけ欧米では、日本ほど女性のロッカーやシンガーソングライターへの理解が深かったわけではなかったためになおさらでした。マドンナは初のナンバーワン曲となった「ライク・ア・ヴァージン」以降、性や女性の生き方、さらには宗教の問題に踏み込むなど過激な主張で女性たちの強い共感を得ます。保守的な男性ロックファンは、ダンス・ポップ寄りの彼女のサウンドを非難もしましたが、彼女の主張は当時のほとんどの男性ロッカーよりも強烈でした。

Madonna「Lucky Star」

今から振り返るに、ここで黒人と女性がシーンの牽引者となったことが、その後のロックの退潮をも含む音楽シーンの勢力地図の決定的な変化を決めることとなったようにも思えます。

世界中に影響を与えたロック

1980年代半ばのロック主体のポップ・ミュージックの影響力は後にも先にも最強のものでした。ハリウッドでも『サタディ・ナイト・フィーバー』(77年)、『グリース』(78年)の成功を継承し、『フラッシュダンス』(83年)、『フットルース』(84年)、『ビバリーヒルズ・コップ』(85年)、『トップガン』(86年)と毎年のように映画からシングル・ヒットが連発されました。

そして、ロックは「社会正義」を押し進めるひとつの手段にさえなりました。反共軍事政権終焉後の南米や、共産主義崩壊直前のソ連や東欧ではロックが自由の象徴として愛され、これらの地で大規模なアーティスト出演のフェスティバルが相次ぎます。クイーンAC/DCなどの国際的な人気はこの時期のこれらのフェスで築かれた部分も強いです。

また、イギリスでのバンドエイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」やUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に見られるようにアフリカの飢餓問題を皮切りとしたチャリティ企画も相次ぎ、それは85年7月開催の「ライブエイド」で頂点に立ちました。ロックが国際ニュースのヘッドラインを飾ることさえ当時は珍しくありませんでした。

次の動きに備えた日本のシーン

日本では、83年末にYMOが“散開”で活動にピリオドを打ちます。シングル「君に胸キュン」が大ヒットし、さらに坂本が当時「レッツ・ダンス」を世界的にヒットさせていたデヴィッド・ボウイビートたけし(北野武)と共演した、大島渚監督作『戦場のメリークリスマス』も話題になっている最中での衝撃の幕切れでした。これで日本のロックは急速な世代交代を余儀なくされます。日本の場合、フォークや日本語ロックからの転向組、つまり当時30代後半だった団塊の世代がパンク/ニュー・ウェイヴをやり、シティ・ポップに近いことをやっていたのが昭和30年前後生まれの世代だったという、欧米での状況と真逆のねじれ現象も起きていたのでなおさらでした。

そんな1984年頃、自作曲派ではありませんでしたが、50sリバイバルのバンドのチェッカーズと、イギリスのニュー・ウェイヴ的なファッションとサウンドを展開した吉川晃司が“ロックのアイドル”として、この当時まだ圧倒的な力を持っていた松田聖子中森明菜たのきんを中心としたアイドル勢に一矢報いはじめていました。また、サザンオールスターズがニュー・ウェイヴに接近し、佐野元春がニューヨークで当時黎明期だったヒップホップの影響を受けた作品を発表するなど、日本のロックが新たな方向に動いて行くことも示唆されました。

そして、この当時の洋楽のMTVスターのような雰囲気を持ったバンドたちが日本の音楽シーンを席巻する日もそこまで来ていました。

佐野元春「コンプリケイション・シェイクダウン」

参考文献

■WEBサイト
80年代 テクノとファッションの時代 | ニッポン戦後サブカルチャー史
戦後イギリスの経済政策
【対談】伊藤政則 vs BARKS編集長 烏丸哲也「伊藤政則の作り方」(BARKS)
サウンドストリート Wikipedia

■書籍

「UKニュー・ウェイヴ」
小野島大著 シンコーミュージック
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「80’s goods manual」
ネコ・パブリッシング
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