コラムスピン :第109回:「ロックと日本の60年」第10章 バブルが洋楽を追いやり、バンドブームを経てJ-POPの時代へ

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第109回:「ロックと日本の60年」第10章 バブルが洋楽を追いやり、バンドブームを経てJ-POPの時代へ

80年代後半に入り日本はバブルの真っ最中。邦楽ロックのバンドブーム、また洋楽はLAメタルとダンスミュージックが一大ブームに。そしてJ-POPという言葉が誕生します。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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MTVカルチャーの到来で洋楽ロックが空前の盛り上がりを見せた80年代前半の日本について前回は語りました。今回は、それが80年代後半のCDの時代にどうなって90sにつながっていったかについてお話ししましょう。

「内需拡大の時代」の日本のロックの大爆発

「80年代は洋楽の黄金時代」。そのように語る人は多いものです。ただ、十把一絡げに「80年代全体」が果たしてそうだったかについてはやや疑問が残るところです。なぜなら、80年代の半ばから日本での洋楽退潮は既にはじまっていたし、それに日本のロックがとって変わりつつあったからです。

1985年9月、プラザ合意により、アメリカが大幅なドル安に向かうことが明らかにされました。235円だった1ドルの価値は1年後には150円、以降も加速的に下がり続けました。これは、前章の冒頭に述べたような日本企業の工業製品の世界進出に対するアメリカ側からの強い牽制でした。これは日本にとって大打撃になるはずでしたが、政府が取った景気刺激策が思わぬ余波を生み出します。円高不況を恐れた政府は消費を活性化させようと低金利政策をすすめ、株式と土地の融資を銀行に奨励させ続けたところ、これに企業が殺到し、これらの価格が異常高騰し、莫大な価値を持つこととなったのです。バブル経済の誕生です。これら企業の潤沢な資産を持って、日本は87〜90年に、毎年5〜7%という、これまで以上の経済成長を果たしました。

しかし、「豊かになった」とは言え、このバブルの豊かさにはいびつな側面も随分残りました。そのひとつが「内需拡大路線」でした。このときのみならず、1ドルが200円を超えるような時代は戻ってくることはなく、円は高いまま、加えて日本企業が海外でイケイケだった時代には欧米諸国からの手厳しいジャパン・バッシングも受けました。国内の需要を伸ばして行った方が楽だったのです。これが今日まで約30年も続くことになる日本の内向き傾向のはじまりであり、そこに音楽産業も影響を受けることになりました。

それが証拠に、前章で話した、80年代前半に一気に花開いた洋楽のミュージック・ビデオを流す番組は86〜89年のうちに老舗の「ベストヒットUSA」含め、すっかりなくなってしまいました。僕が福岡で見ていた4局に存在したその種の番組(第9章参照)とビルボード・チャートを紹介するFM福岡の洋楽番組もまさにこの時期に絶滅しました。

そして、それと入れ替わるように、日本のロックを紹介する番組がFMやテレビの深夜帯に急増し、地方では、それらのアーティストのフィルム・コンサートの企画なども盛んに行なわれました。その結果、レベッカ尾崎豊TM NETWORK、そしてBOØWYがまずは85〜86年に台頭しました。日本のニュー・ウェイヴから、マドンナシンディ・ローパーといった世界のガール・アイコンへの回答を行なったようなNOKKOを擁するレベッカ、この当時の荒む中高生の問題を従来のようなツッパリの様式ではなくブルース・スプリングスティーン風の白シャツ&ブルージーンズのアメリカン・ロック・テイストで表現した尾崎、そして“和製デュラン・デュラン”としてはじまった小室哲哉率いるTM。いずれも、この当時の欧米のMTVスターの雰囲気をまとった彼らは、アイドルしか知らなかった中高生も、既にMTV系の番組を見ていた層の両方を取り込むことが出来たのでした。

レベッカ「フレンズ」

ただ、その中で最大の影響力を誇ったのはBOØWYでした。イギリスのダークなニュー・ウェイヴ・バンド風のルックスだった彼らは布袋寅泰の切れ味鋭いカッティングとメロディックなギター・フレーズ、氷室京介の甘くセクシーな歌声の2本柱で前身の「暴威」時代(第5章参照)から着実に人気を集め、86年にシングル「B・BLUE」のヒットでチャンスを掴むと、87年にはシングル、アルバムともオリコンを制す国民的人気バンドとなりました。しかし、人気絶頂の87年のクリスマス・イヴのライブで彼らは突然の解散を発表します。以後も再結成を行われず、その存在は伝説化しました。

BOØWY「マリオネット」

彼らは80年代前半からメジャーが抱えていたアーティストでしたが当時の日本のロックはそれだけではありません。85年8月、NHKはドキュメンタリー「インディーズの襲来」を放送し、自主制作のソノシートで作品を発表し、ライブハウスで盛況のバンドたちが耳の早い若者にウケていると伝え、「有頂天ウィラードラフィン・ノーズ」の3バンドが「インディーズ御三家」と目されました。彼らの商業的インパクトは大きなものでこそありませんでしたが、キッズたちのライブハウスへの距離を縮めたことはたしかでした。そして、こうした文化からの最大のバンドがザ・ブルーハーツでした。

ヴォーカルの甲本ヒロト、ギターの真島昌利の2人を中心に85年に結成されたブルーハーツは渋谷屋根裏をライブの拠点とし、初期のロンドン・パンクのスタイルを取りながらも、優しさや真心と社会的なメッセージを平易な日本語で両立させた独自のパンクロックを築き上げ「人にやさしく」「リンダリンダ」など今日まで残る、国産パンク・アンセムを作り上げました。

THE BLUE HEARTS「人にやさしく」

これらのバンドが台頭した昭和の末期頃(1987〜88年)には、他にもまだまだ駒が豊富でした。プリンセス・プリンセス渡辺美里のような女の子のロック・アイコンや、ストリート・スライダーズレッド・ウォーリアーズのようなRCサクセション登場後に門戸が開かれたストーンズ直系のロックンロール・バンド、JUN SKY WALKER(S)KENZI&THE TRIPSに代表されたビートパンク系、爆風スランプ米米クラブのようなユーモア・センスに溢れたファンク、 その他にも大沢誉志幸バービーボーイズPERSONZ筋肉少女帯など枚挙に暇がありません。また、ナゴムやキャプテン・レコードなど、インディーズ・レーベルも急速に発展することにもなります。こうした怒濤の攻勢を、女の子向けの「PATi PATi」や「B-Pass」、ライブハウス通いのインディーズの好きのための「BANDやろうぜ」、そして洋楽誌「Rockin’ On」の別冊で88年から月刊化した硬派志向の「Rockin’ On Japan」など急速に増加した邦楽ロック系の雑誌媒体も盛り上げることとなります。

こうした日本のロックの急速な商業的台頭は、これまで圧倒的な人気を誇っていたアイドル業界も飲み込んでいきます。従来のような職業作詞家、作曲家が作るアイドルの楽曲は飽きられ、「顔のかわいい子を見つけたらまずは歌手デビュー」というこれまでの芸能界の既定路線も必然性が疑われ、アイドルは次第にロリータ趣味の「オタク」相手のものとなり、90年代の半ば〜後半まで冬の時代を迎えることとなりました。

日本のロックから消えはじめた「洋楽からの影響」とJ-Popの誕生

ただ、日本人のロックやシンガーソングライターによる自作自演のポップスが主流になったからと言って「シーンが良くなったか」と言われると、そこは微妙です。BOØWYのプロデューサーだった佐久間正英は2014年に亡くなる直前のインタビューで「BOØWYが流行ったことによって、後続のロックバンドがBOØWYを目指すようになり、そのルーツまでを聴かなくなってしまった」ことを認めていますが、この時期に、日本のロック・ファン、そしてアーティスト自身の「洋楽離れ」がはじまってしまいました。

これは「BOØWYのせい」というよりは、当時のシーン全体の環境のせいでしょう。つまり、それまでは「日本のロック」といっても国民のごく一部が聴いていたものに過ぎず、バンドたちも「ルーツとして洋楽を聴いて当たり前」「洋楽聴く人にアピールしてナンボ」な意識があり、それが彼らの音楽性を高めてもいました。さらに、日本でのリスナーの数に限界があったことも、彼らの「海外進出したい」というハングリーな欲求につながっていました。しかし、きわめて多くの日本のアーティストが一度に流行ったことで、「目の前の流行り音楽」としてそれが別に歌謡曲でもかまわなかった人がリスナーにつくようになり、アーティストや事務所、レコード会社の側もそれに満足し、商業面の成功以外の向上を目指さなくなってしまったのです。

そして、毒のない晴れやかなロックやシティ・ポップが、アイドルを卒業したての俳優・女優主演のトレンディ・ドラマや、デート・スポットへの旅行の広告などに過剰にさわやかに響く「道具」として利用されることもこの時期からはじまります。これがこの当時に言葉として生まれはじめた「J-Pop」のかなり典型的なイメージとなります。「J-Pop」とは本来、「洋楽の影響を受けてできた非歌謡曲」の意味でつけられていたはずのものでしたが、それらは実際にはかなり歌謡曲化したものであり、皮肉にも後年、洋楽志向にこだわるアーティストや硬派のバンドなどから蔑称的なイメージさえ抱かれるようにもなり、30年近い月日を経て今に至っています。

また、80年代前半に威力のあった「英米チャート」に関しても効力がなくなっていきます。六本木のディスコ「マハラジャ」を中心に爆発的な人気となったユーロビートのコンピレーション・アルバム「ザッツ・ユーロビート」は90年代初頭まで続く人気シリーズとなりましたが、そこには実際に世界的にヒットしたリック・アストリーカイリー・ミノーグなどではない、イタリアをはじめ、どこの海のものか山のものかわからない楽曲が目立ちました。またFMでも、J-Wave開局が契機となり、実際の英米のヒットよりも都会に似合うBGMとしての機能性を重視した選曲が目立つようになり、DJも音楽的造詣ではなく、英語を話せることが最優先されるようにもなりました。

洋楽ロックの人気を支えたメタル・ブーム

ただ、世界の洋楽ロックが日本に入って来なくなったわけではありません。目立つところで耳にしなくなった分、洋楽ファンはマニア化し、より専門的になった音楽雑誌、そして、ドル安の影響で、CD1枚あたりの価格が当時の日本盤CD(3200円)の半額ほどになったことで急速に需要が高まり、タワー・レコードやWAVEなどが店舗を増やして行きます。そんな洋楽ロックファンの中で当時最大の人気を誇ったのがヘヴィ・メタルでした。

欧米でも84年頃から、市場をイギリスからアメリカに変えてヘヴィ・メタルは世界的に勢力を拡大していきましたが、この年の秋にこれまでの洋楽業界最大の音楽誌だった「ミュージック・ライフ」から「BURRN!」が独立し「日本初のヘヴィ・メタル専門誌」として創刊されるとアメリカでのブームに乗り、本家を上回る影響力を誇る雑誌となっていきました。また、伊藤政則(第9章参照)の「メタルの語り部」としての需要も一気に高まり、テレビにラジオにCDの解説に影響力を持つようになります。この時期、こと放送に関して洋楽ロックでは孤軍奮闘に近いものがありました。

アメリカでのメタルは、当初はモトリー・クルーラットなどのLAのグラマラスなバッド・ボーイズ系バンドの人気が先行しましたが、やがて東海岸はニュージャージーのボン・ジョヴィが86年秋に空前のアイドル人気で一気にシーンの頂点に立ちます。これまで男性ファンがメインで、ファンになるのに敷居の高いイメージもあったヘヴィ・メタルでしたが、そこに健康的な親しみ易さと覚え易いアンセムを武器に、彼らが女の子や低年齢のキッズをメタルに近づける貢献を果たしました。ここからアメリカのメタル界にはグッド・ルッキングとポップなメロディ、そしてスプレーで膨らませたロングヘアと奇抜なファッションを売りにした“グラムメタル”“ヘアメタル”とも呼ばれたバンド達が目立つようにもなります。この頃はメタルに限らず、男女問わず、ファッションが過剰に奇抜化した時代でもありました。

Bon Jovi「You Give Love A bad Name」

そして硬派なタイプからは“高速サウンド”をウリにした“スラッシュ・メタル”のメタリカメガデスアンスラックススレイヤーの“四天王”が、スケートボードなどのスポーツとも結びつき刺激を求める少年たちに抜群の支持を受けました。特にメタリカはそこにスケールの大きな楽曲展開力や社会腐敗や戦争、宗教などへの疑念を乗せた社会的な歌詞などを乗せることで本格派バンドとしてカリスマ化していきました。

また、当時のメタルの宝庫だったLAからは、破滅型の強烈な個性が揃ったガンズ&ローゼズが登場しました。メタルにパンクロックの感覚を融合させ、日常の狂気を巧みに言葉に乗せた彼らはメタルファン以外のロックファンを引きつけるのに成功しました。そして、フロントマンのアクセル・ローズを中心に「毎日が騒動」だった彼らの言動は、ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンの頃から続く「セックス・ドラッグス&ロックンロール」のロックスター・ライフスタイルの総決算とも言えるもので、1988年の本格ブレイクの後には映画スター並にパパラッチされました。

Guns N’ Roses「Welcome To The Jungle」

それだけではありません。ガンズをはじめ当時のメタル界の若手世代の後押しを受け、ドラッグ禍などで長期低迷していたエアロスミス(第6章参照)が10年前を上回る勢いで劇的な復活を遂げ、ホワイトスネイク(第9章参照)がデヴィッド・カヴァーデイルのセックス・シンボル化もあり世界的人気を獲得しました。またスティーヴ・ヴァイイングヴェイ・マルムスティーンの超絶ギタリストはギター少年の憧れとなり、特にイングヴェイは日本で別格の存在となります。また花形プレイヤー揃いながらメロディックなサウンドのMR.BIGも日本で格別に愛されました。その他、“北欧”“ジャーマン”“デス”“パワー”など様々なメタルのサブジャンルが存在しました。

ダークに、かつマニアックに進化したUKのインディ・ロック

その一方、パンク/ニュー・ウェイヴ系は、華やかなMTVスターの去った後は、世界のロック界の良心的存在として巨大化したU2が、南アフリカ共和国の人種隔離政策のアパルトヘイトなど、当時の社会問題でリーダーシップを発揮したことで表向きには一人勝ち状態となります。ただ当時、とりわけイギリスのシーンを牽引したのは、むしろダークなカリスマたちでした。MTVブームの華やかさから一転、イギリスでは若手のロックバンドが流行りにくい状況となりメジャー・レーベルが積極的に契約しないものとなっていましたが、その分、インディを主体としたシーンが活性化しはじめたのです。

そのひとつの大きな拠点となった都市が北部のマンチェスターで、最大のカリスマがザ・スミスでした。厭世的な気分を巧みに詩に乗せ社会に毒づくフロントマン、モリッシーと、アルペジオ主体の繊細ながらもキレのあるギターを聴かせたジョニー・マーを擁した彼らはインディ・レーベル、ラフ・トレードの顔でした。そして、ニュー・オーダーがそれに続きます。陰鬱で不気味なカリスマ性で注目されながらフロントマン、イアン・カーティスの自殺により伝説で終わっていたバンド、ジョイ・ディヴィジョンの残党によって作られた彼らは、ジョイ・ディヴィジョンからの特徴的ベースラインとエレクトロ・サウンドで時代をリードします。彼らもインディ・レーベル、ファクトリーを拠点とし、同レーベルのクラブ、ハシエンダがその後のロックファンのひとつの聖地とも目されるようになります。

The Smiths「How Soon Is Now」

また、世界的に華やかな音楽が人気を博す中、それとの同調を拒むような暗いサウンドもイギリスから出て来ました。こうした系譜は80s初頭にスージー&ザ・バンシーズエコー&ザ・バニーメンが出て来たときからありましたが、80s半ば以降は、黒衣装に白塗り顔のゴス・ファッションのバンド、ザ・キュアーと、ポップなエレクトロ・ポップから荘厳さと重さを強調しはじめたデペッシュ・モードがその牽引役となります。彼らは全米進出に成功したことでカリスマ化していきました。また、ギターのフィードバックを最大限のヴォリュームで放ちながらポップソングを歌うジーザス&メリー・チェインもこの中に加えていいでしょう。この辺りのバンドのファッション・センスはBOØWYをはじめ日本のバンドにも入っていくことにもなりました。

また、「ネオ・アコースティック」、別名「ギターポップ」の勢力も無視出来ません。この流れは80s初頭にアズテック・カメラエヴリシング・バット・ザ・ガールが台頭した頃からありましたが、イギリスの雑誌NMEが1986年に発表した2巻組オムニバス・カセット「C86」で地味に広がりました。その中に収められたプライマル・スクリームパステルズといったバンドは、後の日本のアーティストに強い影響をもたらすことにもなります。

これらイギリスのニュー・ウェイヴは、当時の日本だとラジオやテレビで耳にする機会はほとんどなく、実際問題、聴いていた人を「暗い」などと呼ぶ風潮さえありましたが、雑誌や輸入盤店では根強い支持を得ました。雑誌だと「Doll」や「FOOL’S MATE」(第8章参照)に加え、87年あたりから「Rockin’ On」もそこに本格的に加わり、「BURRN!」が抜けた後の「ミュージック・ライフ」の部数を抜く勢いを持ちました。なお、「ミュージック・ライフ」からは「CROSSBEAT」がさらに分家しこの系に続きますが、これはもはや「洋楽総合誌」では洋楽ロックファンを掌握できなくなってきたことを意味するものでもありました。また、この頃から「ブリティッシュ・ロック」との呼ばれ方から「UKロック」という呼称が一般的になっていきます。

なお、アメリカにもこの当時インディの文化は盛り上がりつあり、その一部は日本でも「Rockin’ On」「CROSSBEAT」で伝わってはいましたが、その情報量たるやUKロックのそれの比ではなく、それに詳しい人も批評家レベルでもかなり少ない時代でした。それがゆえに数年後、大いに慌てふためくことなるとは、この時点で日本はおろか世界の誰も予想できませんでした。

ダンス・ミュージックの全盛時代へ

また80s後半から、アメリカでは前章で述べた“マイケル、マドンナ、プリンス”の影響で、これまで音楽シーンで弱い立場にあった“黒人、女性”の台頭が際立ち、それと共にダンス・ミュージックが強くなりました。ジャネット・ジャクソンボビー・ブラウンジャム&ルイスLAリード&ベイビーフェイスなどのプロデューサー・チームの力と共にストリート向きのダンスビートを世界的ブームにさせ、時同じくしてホイットニー・ヒューストンマライア・キャリーなどのスーパー・ディーヴァが高い歌唱力で話題となります。こうした要素は日本でも久保田利伸を皮切りに入りこみました。

また、同時に80sのはじめからラップやブレイクダンスなどが“黒人の新しいストリート・カルチャー”として伝えられはじめていたヒップホップがこの頃から商業的に軌道に乗りはじめ、ランDMCビースティ・ボーイズLLクールJの成功で一般に広がりはじめます。特にランDMCエアロスミスと共演した「ウォーク・ディス・ウェイ」や白人グループのビースティのハードロックのサンプリングはロックファンを引きつける効果も見せました。日本では近田春夫いとうせいこうなどの文化人がパイオニアとなります。

また、シカゴのクラブ・カルチャーからは、アナログシンセの幻覚的なベースラインを主体とした“アシッド・ハウス”が生まれます。これがヨーロッパのヒッピーの拠点、スペインのイビザ島に持ち込まれたところ爆発的に流行し、さらにイギリス北部に持ち込まれ“エクスタシー”などドラッグの影響も手伝い、“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”という一大ブームが生まれ、英米のチャートで上位に入った楽曲も少なくありませんでした。それらの曲には匿名性と使い捨て感の強い一発屋も多く批判も多かったものでしたが、マンチェスターのインディのロックバンドがこの酔狂をロックに転化することで新たなサウンドを構築するのに成功する収穫もありました。その代表格、ストーン・ローゼズは89年10月に初来日公演を行なったところ、30分程度の短いショウであったにも関わらず、そこで見せた斬新さが話題を呼び、90年1月の「Rockin’ On」ではいきなりの表紙を飾ることになりました。

まだ本国でもシングルがやっとトップ10入りし、アルバムが32位止まりという、実績のないバンドにして異例の表紙抜擢はロックファンを驚かせました。しかしローゼズはこの後、スパイク・アイランドでの伝説の野外ライブの成功を経てカリスマ化し、イギリスにおけるインディのロック文化を活性化させ、同時に日本でのその後のUKロック人気の礎となっていきました。

The Stone Roses「Fools Gold」

参考文献

■書籍

「そうだったのか!日本現代史」
池上彰著 集英社文庫
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「パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本」
海部美知著 アスキー
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「日本のロック50’s〜90’s 別冊太陽」
平凡社
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