コラムスピン :第110回:「ロックと日本の60年」第11章 バブルの喧噪に射し込んだニルヴァーナ

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第110回:「ロックと日本の60年」第11章 バブルの喧噪に射し込んだニルヴァーナ

90年代前半、「オルタナティヴ」という言葉が生まれ、ロックアルバムの売上げにおいて邦楽と洋楽は完全に逆転、カラオケがブームとなり音楽業界の売上げはピークに向かいます。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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80年代の後半、前半に賑わっていた洋楽のテレビ番組は次々と打ち切られ日本のロックが次々と台頭。バブルの波と共に日本での音楽の聴かれ方が決定的に変わったことを書きました。そして日本がバブルに浮かれまくっていた頃、何が起ころうとしていたか。それを今回は話すことにしましょう。

バブルにとにかく日本が浮かれまくった!

昭和末期からのバンドブームを主体とした日本のシーンからは、平成(1989年~)になってからもX(後のX JAPAN)やBUCK-TICKをはじめとした本場のメタルやゴスよりも強烈なルックスを持ったバンドや、ユニコーンTHE BOOMなどアイドル・バンド的存在からマニアックな音楽性を開花させ急成長した存在、奇才トッド・ラングレンのプロデュースで商業・批評的にも話題を呼んだ高野寛、関西ロックシーンが生んだカリスマのボ・ガンボスニューエスト・モデル、“和製プリンス”転じて、唯一無二の語感と楽曲センスと波乱の人生でカルト化した岡村靖幸、作られたアイドルから脱皮し奇想天外な発想で予測不能な発展を遂げた森高千里など、バンドブーム期に登場し人気を博したバンドよりもむしろ長く聴かれ高いリスペクトも受け続けているアーティストも現れてはいました。

岡村靖幸「どうなっちゃってんだよ」

しかし、前章の終わりでも語ったように、「J-POP」と呼ばれるようになったこの当時のロックやシティ・ポップは、トレンディ・ドラマやデート・スポットやリゾートのCMをもりたてるための「道具」としてもっぱら利用される一方でした。

ツーブロック・ヘアの男性や、ボディコンにトサカ前髪、背中まで伸ばしたワンレンやソバージュの女性たち、やたらと大きいコードレス・フォンの子機や都内で1人暮らしをするにはあまりに広すぎる部屋の光景が目立ったトレンディ・ドラマの主題歌には、邦楽だったらBOØWY、洋楽だったらボン・ジョヴィサミー・ヘイガー加入後のヴァン・ヘイレンMR.BIGを手本にしたような、後のアニソンにも通じるクリアで健康的で明朗快活なロックが目立っていました。

そんな89年頃、TBSのアマチュア・バンド参加の深夜番組「イカ天」こと「イカすバンド天国」がはじまりました。この番組は日本のロック・バブルが高まるだけ高まった矢先にはじまったこともあり瞬間的に現象とも言える人気を獲得し、これまでバンドがブームになっていたことを知らなかったような30代以上の人や低年齢層の子供たちにも届くようになりました。しかし、この当時に若い世代にカラオケ・ボックスが人気を獲得しはじめていたように、バンドもカラオケ気分で組んでいた人がその当時には目立ってもいて、「イカ天」でもその一端が垣間見られるようになると視聴者も飽き、同番組からのデビュー組が瞬間的な人気者となっていたのがウソのように、番組放送が2年も経たない1990年の年末には視聴率急落で放送は終了。このバンド・バブル終焉は、ライブハウスの底冷えまでをも起こす被害をも巻き起こしました。ただ、番組人気低下中に出演したブランキー・ジェット・シティが後に大物バンド化するという、皮肉な結果も生まれもしました。

これでロックのバブルは終わりましたが、今度はシティ・ポップのバブルが活性化します。91年に「東京ラブストーリー」が月9ドラマで大ヒットすると小田和正の「ラブストーリーは突然に」が200万枚を超えるヒットを記録し、CHAGE&ASKA米米CLUBもこの路線に乗りメガ・セールスを記録しました。そして、「ミニ・トレンディ・ドラマ」的なTV−CMや山下達郎の「クリスマス・イヴ」やユーミンの楽曲が使われ、それに続けとばかりにシティ・ポップの若いアーティストが大量にドラマやCM、映画の楽曲で売り出され、DREAMS COME TRUE槇原敬之らがこうした流れで人気となりました。また、空元気なほどに明るいメロディで歌われる、やたらと「勝ち負け」の単語が使われた人生応援歌タイプもミリオンセラーを続出させました。これらの楽曲は、この当時のカラオケ・ブームに乗って倍加して世間に流れました。

一方、東京芝浦ではディスコ、「ジュリアナ東京」が登場します。そこでは後に「バブル時代の象徴」として語りぐさとなるお立ち台ギャルたちが、この当時同じく束のように売られた「セクシー・アイドル・グループ」ばりの露出度の高い衣装で、当時流行りのテクノトロニック2アンリミテッドのようなハウスに乗りながら扇子を持って踊るのが社会現象となりました。こうした話は、最近でもよくニュース映像やドラマの再放送で目にすることではあります。体験されていない方からすれば「(ファッションはともかく)さも楽しい時代だったのだろう」と思われるかもしれません。たしかに、この中の何かに共感できればそうだったかもしれません。しかし、違和感を感じる向きには、この躁状態の蔓延ぶりはトゥー・マッチでもありました。

わずかにあった何かが変わりそうな兆し

ただ、音楽カルチャーが浮かれ気味だったのは何も日本だけではありません。アメリカでも、「パワーバラード」と呼ばれたメタル系の甘いバラードヒットやさわやか路線の楽曲があまりに多くなりすぎていたし、ポーラ・アブドゥルミリ・ヴァニリなどの短命だったダンス・アーティストが一世を風靡していました。ヒップホップも、人種問題に鋭いメスを切り込んだパブリック・エネミーや、サンプリング・ワークの美学を作り上げたデラ・ソウルア・トライブ・コールド・クエスト、ラップ・スタイルを変えたエリックB&ラキムなど、創造的には最高潮の時期でしたが、MCハマーの横移動ダンスの方が2桁違う売り上げを記録していた時代です。また“アシッド・ハウス”や“レイヴ”といった新しいダンス・カルチャーが出て来たことは10章でも述べましたが、全てがストーン・ローゼズみたいに新しい創造性に溢れていた訳ではなく、流行り曲の大半はむしろジュリアナ東京にお似合いの、使い捨ての匿名性の高い一発屋がほとんどだったことも忘れてはいけません。

そんな中、なんとはなくですが、「この後のシーンは変わるのでは」との予感を抱かせる動きは、90〜91年頃に英米でも日本でもあったこともたしかです。前述のローゼズやハッピー・マンデーズがロック側から牽引した“インディ・ダンス”とも言われたUKロックのシーンからはジーザス・ジョーンズEMFの用な成功例を短期ではありましたが生みました。特にジーザスに関しては日本で人気があり、人やメディアによっては大物化さえ期待していたものです。また、浮遊感溢れるギターをメインとした“シューゲイザー”のムーヴメントも起こりはじめ、ライドマイ・ブラッディ・ヴァレンタインが期待されはじめていました。そしてアメリカでも80sの「大学生バンド」の代表格だったREMがメジャー・レーベルで成功の規模を拡大させていたし、イギリスで成功したピクシーズをはじめ、ソニック・ユースダイナソーJrといった東海岸のバンドシーンの浮上もあったし、西海岸ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズジェーンズ・アディクションフェイス・ノー・モアのようなハードロックもパンクもヒップホップも飲み込んだ、日本独自の名称で“ミクスチャー”と呼ぶ流れも出来つつもありました。

そして日本で、そうした新しい流れを最も感じさせたのが、小山田圭吾小沢健二の2人組、フリッパーズ・ギターでした。ネオアコ(第10章参照)やインディ・ダンスの要素を時差なく取り入れた彼らは当時の日本のUKロックファンからも熱い視線を注がれるようになります。ときに「パクリ」とも揶揄された彼らでしたが、彼らが91年に発表したアルバム『ヘッド博士の世界塔』はその“パクリ元”とさえ呼ばれたプライマル・スクリームの最高傑作『スクリーマデリカ』よりも実はリリースが先だったという事実まであるほどの吸収の速さでした。

Flipper’s Guitar「Groove Tube」

同じ91年、フリッパーズの他にも、当時のCDの再発ブームを活かした、60sのA&M系ジャズ・インストやイタリア映画音楽などレアな音楽性をサンプリングして取り込んだピチカート・ファイヴ野宮真貴をヴォーカルに迎えたあたりで注目度を高め、また、同バンドの前シンガーの田島貴男のバンド、オリジナル・ラヴも、当時のイギリスでのアシッド・ジャズ・ブームにいち早く呼応した。彼らの、世界と時差のない情報の速さや豊富な音楽知識に裏付けられた音楽は、バブル時代以降に巨大な輸入盤文化を迎えていた日本音楽界の最初の大きな収穫と結果的になることとなります。

彼らは、女性カルチャー誌「Olive」をはじめ、サブカル系メディアの好奇の的となり、バブル文化に違和感を感じる人たちのカルチャーとして広がっていくこととなります。特に並行して聴かれていたUKロックに「世界を何か変えてくれそう」な予感も漂っていたこともたしかです。しかし、世界的なロックの流れを根底から覆すこととなる存在は、世界の誰も予想できなかったところから突然飛び出すことになってしまったのです。

あまりに静かに訪れたニルヴァーナの衝撃

「Smells Like Teen Spirit」が日本で耳にされはじめたのは、1991年の10月頃のことでした。僕がはじめて耳にしたのは、テレビ神奈川の帯番組「ミュージック・トマト」の、水曜日の伊藤政則の担当日でした。後にメタルにとって天敵とも言える存在となるニルヴァーナの曲をメタル界の大御所が紹介したというのは意外ですが、それがニルヴァーナの特殊性を物語っています。

Nirvana「Smells Like Teen Spirit」

「今、アメリカでリアルなハードロックが注目されつつあり、全米チャートを急上昇している」。伊藤はそんな風に紹介しましたが、その時点でメジャー・デビュー作『ネヴァーマインド』は全米アルバム・チャートで30位に入ったくらいでした。「たしかにハードなんだけど、暗さはニュー・ウェイヴ的で、格好は全くの普段着で不思議な感覚だな」と僕も最初は興奮よりも「変わったものが出て来た」という印象の方が強かったものです。

それもそのはず。ニルヴァーナはこの頃、「ソニック・ユースメタリカの両方から支持を受けている」との売り込み文句で売り出され、欧米でもNMEのようなUK/インディ寄りの雑誌でも、ケラング!のようなメタル雑誌でも、 両方推されていたのです。この当時(現在でもそうですが)の「Rockin’ On」と「BURRN!」の全く別世界の誌面展開を覚えている身からすれば、「あの両方が同時に推すなんて可能なの?」という世界でした。

しかし日本でのちょっとした当惑をよそに、本国から2か月遅れで日本で11月に『ネヴァーマインド』がリリースされたとき、同作はアメリカでは既にトップ10入りしており、そして翌92年1月にはマイケル・ジャクソンの『デンジャラス』を抜いて全米1位にまでなってしまったのです。

アメリカでのカルチャー下克上を理解できなかった日本

当時アメリカでは「インディ出身のバンドがキング・オブ・ポップを抜いて1位になった」と大騒ぎになりました。「Rockin’ On」や「CROSSBEAT」でもそうした状況は次第に伝えられていきますが、ニルヴァーナのアメリカでの急速な加熱ぶりは彼らが追いつける速さではありませんでした。そして伊藤が曲をかけ、「BURRN!」内にも熱心に反応した編集者が一部存在はしたもののメタル界隈からニルヴァーナへの大きな反応はありませんでした。唯一の来日公演も全米制覇直後の2月と絶好だったのですが、世間の話題としては、同時期に東京ドームを満杯にしたガンズ&ローゼズの盛り上がりの比ではなかったのです。むしろ、日本のメディアではなく、テレビ朝日が提携していたCNNの深夜放送でたまに流れるエンタメ・ニュースでの方が興奮をリアルに感じられたものでした。日本でのニルヴァーナの初の雑誌表紙も「ギター・マガジン」92年3月号というのも今となっては驚きです。

ギターマガジン 1992年3月号
ギターマガジン 1992年3月号

しかし、日本とアメリカでの決定的なギャップが生じることとなるのはむしろこの来日の後でした。ニルヴァーナのブレイク後、彼らと同じ北西部ワシントン州シアトル近郊の、レッド・ツェッペリンブラック・サバスなどの70年代初頭の粗くドロドロしたハードロックの重さを持つバンドたちが、眉間にしわを寄せた沈鬱な表情と共に全米チャートを一気に駆け上がりました。パール・ジャムサウンドガーデンテンプル・オブ・ザ・ドッグアリス・イン・チェインズ・・。こうしたバンドたちは「グランジ」と呼ばれ、ヨレヨレのフランネルの普段着のシャツがひとつの流行りにもなりました。

Pearl Jam「Jeremy」

いや、それだけに止まりませんでした。『ネヴァーマインド』とアメリカで同日発売だったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』も彼らに遂に全米ブレイクをもたらしたし、電磁ノイズがトレードマークのインダストリアル・ロックの雄ナイン・インチ・ネイルズ、シカゴからのグランジへの回答とも言えたスマッシング・パンプキンズ、「パブリック・エネミーへのロックからの回答」とも言えた政治的ミクスチャー・ロックバンドのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどが次々とアメリカを代表するバンドとなっていきます。こうした新しい勢力はオルタナティヴ・ロック(もうひとつの流れのロック)と本格的に呼ばれるようになります。そして、これらのバンドばかりをひとつにまとめ、全米ツアー形式で回るフェスティバル、“ロラパルーザ”も「90年代のウッドストック」と称され、時代の象徴となりました。

Red Hot Chili Peppers「Give It Away」

そして、こうした、昨日まで全く無名だったインディのバンドたちが次々と台頭して来ることで、栄華を誇っていたバブリーなメタル系のバンドたちは、ニルヴァーナカート・コベインがメタルに否定的なコメントをしたことも手伝って、これまでの人気が嘘のように凋落していきました。栄華を誇ったかのガンズ&ローゼズでさえ、これ以降、きわめて散発的な活動となります。この当時のアメリカは若者の高失業率が社会問題化し、家庭崩壊や暴力、ドラッグの問題も深刻化しており、メタルバンドたちのある種のステレオタイプのイメージになっていた、ライヴ後のハメをはずした酒池肉林のパーティ・ライフスタイルは一般感覚に全く合わなくなっていたのです。

80s初頭以来、ビルボードのチャートを毎週記録していた僕にとって、こんな下克上を体験するのははじめてのことでした。そして、日本で仰々しく過剰な明るさで展開されるバブルの狂騒に違和感ばかりを感じていた身には、ようやくしっくり来る音楽を見つけられた気もしました。さらに、少し前までMCハマーのガニ股ダンスで盛り上がっていたヒップホップが92年5月の「ロス暴動」以来、「死と隣り合わせの不良黒人の日常」を反映したシリアスなラッパーたちがドクター・ドレーアイス・キューブを皮切りに強い市民権を得はじめたり、はたまた、91年に「強いアメリカ」を打ち出し湾岸戦争に乗り出していたはずの共和党ブッシュ政権が「国内の社会問題の解決」を求める国民によりビル・クリントンに破れ、12年ぶりに政権がリベラル派の民主党に交代するなど、「変化」の規模は社会レベルにまで及んだのです。規模で言えば、1977年のイギリスでパンクが起こしたそれ(第8章参照)さえも大きく上回っていました。

ただ、日本の音楽ファンがこの文化の革命的変化の瞬間を実感することは一般的にはありませんでした。UKロックファンには「アメリカのことだし」と興味を示さない人も多かったし、ソニック・ユースダイナソーJrでUSインディに興味を持った人には「商業的に劣化したブーム」みたいな冷ややかな捉え方をした人もいました。もっともこの頃、日本でこうしたオルタナの曲を巷で耳にすること自体がほとんどなかったし、海の向こうの若い世代がいかに変わったかをメディアが視覚的に伝える機会もほとんどありませんでした。60年代の「平凡パンチ」(第3章参照)や「オールナイト・ニッポン」(第4章参照)、70年代の「ぎんざNOW」(第6章参照)のように国境関係なく若者文化を積極的に伝えていたメディアもなくなり、また、そうした文化の恩恵を受けていた世代も、新しい潮流に反応するには年が上がりすぎていました。輸入盤店と音楽ジャンル専門誌だけに洋楽ロック情報が偏るようになったツケがここにあったのではないかと、僕は今にして思います。

そして、日本のメタルファンは、自分たちの応援していたバンドの人気が下がり、やがてメジャー契約を切られる例も増えたことで「オルタナ憎し」の風潮が強まっていきます。それに伴って、「BURRN!」も93年に入った頃からグランジ/オルタナに対立姿勢を見せ攻撃しました。当時、洋楽関係で高い部数を誇っていた媒体だけにファンへの影響力は絶大でした。

それはCDセールスにも跳ね返ります。オルタナの期待の新星バンドはオリコンの100位に入るのも苦労していた頃に、アメリカで下降線のメタルバンドがオリコンのトップ10にランクし続けました。その最たる例が、93年9月にニルヴァーナの『イン・ユーテロ』とMR.BIGの『バンプ・アヘッド』が同週にランクインしたときに起こります。英米で初登場1位をはじめ、オセアニア、ヨーロッパでも軒並み上位だったニルヴァーナの前者は13位止まりで、全米で82位、他の国では全くヒットの痕跡さえ残らなかったMR.BIGの後者が6位を記録したのです。また、その数週後には、パール・ジャムの2ndアルバム『Vs.』が予約だけで200万枚という、当時の新記録をアメリカで作ったにも関わらず、日本では42位止まり。ロックの世界的な新しい流れがここまで日本に遅れて伝わった瞬間はありませんでした。昨今、日本に関して、国際感覚の欠如した都合の悪いことを指摘されると、「いいじゃないか。他の国なんて関係ない。日本は日本だ」とムキになって自己肯定する傾向が見受けられるものですが、洋楽ロックで20数年前にそれとソックリなことを言う人が既にいたのを僕はよく覚えています。

しかし、日本のメタル系メディアがどれだけ煽ったところで、ギター・サウンドをグランジ寄りにシフトさせ、髪を切ってファッションまで変わりはじめたのは、皮肉にも当のアメリカのメタルバンドの方でした。

アリーナでの華やかさを増して行った日本のロックシーン

そして、92〜93年も、日本のシーンは明るく華やかなままでした。この頃に邦楽のシーンの中心となったのは、まずはビーイング系でした。ZARDTUBE大黒摩季WANDST-BOLANDEENなどでビーイングは当時大ヒットを連発し一大帝国を築きます。サウンドはアーティストによって様々ではあったのですが、ZARDDEENなどに特に顕著だったように、さわやかかつクリアーで厚みのある、フュージョン/AOR〜産業ロック系のサウンドに近い雰囲気のものに強みがありました。それはレーベルの中心人物、長戸大幸をはじめ、プロデューサー陣がジャパメタ系人脈(第9章参照)であったこととも無関係ではないでしょう。これらのアーティストは、当時ライブ露出を控え謎めいた印象も残していましたが、その中で例外的に積極露出を行なったのはB’zでした。松本孝弘稲葉浩志の2人によるB’zは「ハードロックとデジタル・ビートの融合」によるサウンド展開を行ないますが、ライブだと次第にMR.BIGビリー・シーンや、メタル系セッション・ミュージシャンをバックにつけはじめるなど、日本におけるメインストリーム・ロックの代表格としてアピールします。

また、X JAPANは80s後半のメタルブームと共鳴するサウンドで成功したものの、アマチュア時代にテレビのバラエティ番組のメタルをパロディにしたコーナーに出演したかどで日本のメタルファンから強い反発も招きました。しかし、それが故に彼らは「メタル」の束縛から逃れ、自分たちの別の勢力を築き、そこで影響力を誇りました。彼らの周囲には、メイクや派手な髪の色のバンドたちが集まりました。それは、X JAPANDEAD ENDのようなメタルの影響の強いものや、BUCK-TICKのような80sのゴス系ニュー・ウェイヴ(第10章参照)のタイプ、ハードコア・パンクからメタルに進化したGastunkに影響されたものまで雑多なものでしたが、それらはやがて外見上の傾向で括られ“ヴィジュアル系”と呼ばれるようになります。これらは「Shoxx」、そして洋楽ニュー・ウェイヴ誌から劇的な変貌を遂げた「FOOL’S MATE」のような雑誌のプッシュにより勢力を拡大します。そしてX JAPANYOSHIKIのレーベル「エクスタシー・レコード」からのLUNA SEAの台頭でシーンが活気づくことにもなります。

X Japan「Silent Jealousy」

このように、バブルが終わりに向かう頃、日本はむしろアリーナを賑わすきらびやかで派手なバンドを作り上げる段階に入るという、欧米とは全く対照的な方向性を帯びていくこととなります。しかし、そうなると、不思議なもので、欧米でもそうであったように、ここ日本でも、“メインストリーム”と“それ以外(オルタナティヴ)”なシーンは自然と2つの方向性に別れていくことにもなっていくのでした。

参考文献

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