コラムスピン :第111回:「ロックと日本の60年」第12章 オルタナ、ブリットポップ、そして渋谷系以降~「世代の断絶」さえ生んだ、情報世代のロック全盛期

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第111回:「ロックと日本の60年」第12章 オルタナ、ブリットポップ、そして渋谷系以降~「世代の断絶」さえ生んだ、情報世代のロック全盛期

1994年から97年頃、バブルは崩壊したけれど日本の音楽ソフト売上げはピークに達し、国内外共にロックは充実。そして現在のフェスのヘッドライナーのほとんどがこの頃登場したアーティストです。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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世界のロックの勢力地図を塗り替えたニルヴァーナが登場するも、天に舞い上がるようなバブル景気の浮かれの絶頂で、その切実なシリアスさや彼らがアメリカで起こしたロンドン・パンク以上の地殻変動を当時の日本が気づき損なった話を前回はしました。今回はそれ以降90年代半ば以降の日本の音楽シーンがどうなったか。それをお話ししましょう。

結局、日本でもシーンは2分化

前章の後半で、日本でヘヴィ・メタルの勢力がグランジやオルタナティヴに対立姿勢を見せ、さらにB’zやヴィジュアル系をはじめとしたアリーナ・ロックのタイプのバンドが台頭しはじめたと書きましたが、グランジやオルタナにカルチャー・ショックを覚えたのはなにもメタル・ファンに限ったことではありませんでした。それはこの当時に既に大学も卒業して社会人となっていた大人世代の洋楽リスナー全般にみられた現象でした。

それには様々な理由がありますが,要約するとこういう感じでしょう。(1).そうした新しいタイプの洋楽ロックをラジオを巷で耳にしなかった。(2).70sまでの生音重視のサウンドに回帰したグランジ以降のサウンドに、80sのデジタルでハイファイなサウンドを愛し過ぎたがゆえについていけなかった。(3).ビルボードのシングル・チャートだけを見るとR&Bやヒップホップが強くなったため「ロックが弱くなった」と思い込んだ。(4).90sに音楽の細分化が進み過ぎ、ついていけなくなった。(5).グランジやオルタナのバンドが自らがスター化した姿を誇らしげに魅せようとしなかったために彼らが「ロックスター」らしく映らなかった。大体こうした理由でしょう。こういう向きには80sポップらしさを残すJ-POPの方が親しみやすかったのは事実でしょう。

しかし、2015年の現在から見るに、ロックの中心となっているのは90年代に台頭したアーティストやサウンドであるのは世界的な現象であり、それを理解しなければロック・フェスに参加するのも難しいような状況になっているのは事実です。それくらい90sのこの時代というのは、ロックの新世代と旧世代のあいだに大きな世代断絶を生みましたが、それは日本のロックシーンも同じで、「これ以降」を作る勢力がJ−POPの裏で芽生えはじめます。

そんな流れを牽引したのは“渋谷系”でした。フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴオリジナル・ラヴが、世界的に最先端でマニアックな音楽性で日本国内の刺激を求めるリスナーやメディアから注目されはじめていた話は前章でも書きましたが、その勢力は年々拡大していきました。フリッパーズは92年に解散しますが、コーネリアス名義になった小山田圭吾もソロになった小沢健二も影響力は強いままで、街にはベレー帽やボーダーのシャツというフリッパーズ風のファッションが徐々に増えました。この現象は、こうしたアーティストを熱心に推したのが渋谷のHMVやWAVEだったことから“渋谷系”と呼ばれることとなりました。

また、小沢のバックをしばしつとめた東京スカパラダイス・オーケストラや当時渋谷系の要素にジャミロクワイをはじめとしたイギリスのアシッド・ジャズの要素も強かったことから大沢伸一モンド・グロッソUnited Future Organizationなども渋谷系の印象で見られ、彼らは日本のクラブの洗練化にも一役買いました。さらに「オシャレでマニア性を感じさせるもの」なら渋谷系に近いと判断され、輸入盤店の邦楽売り場やJ-WAVE以降に増えた各地2波目のFM局やCATVの音楽チャンネルがそれらに価値を感じはじめました。そこで聴かれたのがヒップホップ・トリオのスチャダラパー、テクノ・ユニットの電気グルーヴ、ギター・ポップのL⇔Rスパイラル・ライフ、“日本のネオ・モッズの元祖”のザ・コレクターズムーンライダーズの弟バンド的存在だったカーネーションなどでした。

そんな流れの中、94~95年の小沢健二の活躍は目覚ましいものでした。みずからテレビに積極的に出演してメディア展開を行ない、スチャダラパーとのコラボによる「今夜はブギーバッグ」を皮切りに、アルバム『LIFE』から「愛し愛されて生きるのさ」や「ラブリー」など4曲がシングル・ヒットを記録する、日本のこれまでのロック史では珍しい現象まで起こしました。

小沢健二「ラブリー」

そして、直接的に“渋谷系”とは言えませんが、当時一部でそう解釈されたことも手伝い大成功したのがMr.Childrenでした。サザンオールスターズの80年代後半の楽曲アレンジで注目された小林武史がプロデュースをつとめる彼らはUKロック風なギター・アレンジの楽曲を桜井和寿が歌い上げるスタイルで人気を急激に伸ばし「Crossroad」「Innocent World」がヒットした94年の半ば頃には国内最大の人気バンドとなりました。さらに翌95年にはスピッツがそれに続きます。80年代後半にビートパンク系のバンドだった彼らは次第にアコースティック色と草野マサムネの歌詞の文学性を高めていくことで孤高性と音楽的評価と人気を上げ「ロビンソン」「空も飛べるはず」がヒットする頃にはMr.Childrenと並ぶ人気バンドとなっていました。

スピッツ「ロビンソン」

またこの頃は、少女性とバイタリティの両方を併せ持った“ガーリー”と呼ばれる感覚が日本に浸透した頃でもあり、この傾向に乗ってCHARAJUDY AND MARYYUKIが女の子たちの新しいアイコンとなりました。コンサバ系OLに人気の女性シンガーソングライターや肩に力の入りがちだったガールズ・バンドたちとは明らかに異なる彼女たちはを「Olive」をはじめ「Cutie」「Zipper」など続々と登場したガーリー系ファッション雑誌がそれを支えました。ちょうど国際的にもアイスランドのビヨークが、実験的で先進的なサウンドと変わらぬ少女性を秘めた独自のファッションやアートのセンスで世界的なガールズ・アイコンとなっていた時代でもありました。

また、輸入盤文化の定着は英米以外の音楽、ワールドミュージックのブームを引き起こしもしましたが、THE BOOMや、ニューエスト・モデルが発展解消して出来たソウル・フラワー・ユニオンは、沖縄民謡やラテン、アイルランド民謡などの要素を吸収した雑多な音楽性を志向し社会的なメッセージも頻繁に発したことで、新聞やテレビのニュースでも関心を持たれました。

こうした流れを雑誌単位でうまくまとめたのが「ROCKIN’ ON JAPAN」でした。同誌は「硬派」のイメージこそあったものの、過去にX JAPANYOSHIKIが表紙になっているように、ジャンルの線引きをそこまで明確に行なってはいませんでした。ただ93年にBUCK-TICKソフト・バレエが表紙になったのを最後に、ヴィジュアル系が表紙を飾ることは、その後の例外的なものを除いてはなくなり、渋谷系やミスチル、スピッツに加え、BLANKEY JET CITYや、ユニコーン解散後にソロに転じた奥田民生THE BLUE HEARTS改め The HIGH-LOWSなどのバンドブームからの生き残り組が雑誌の顔となっていきました。また、THE YELLOW MONKEYエレファントカシマシなどをブレイク以前から押し続け、成功に至らせたイメージも同誌にはあります。

ブランキー・ジェット・シティ「悪いひとたち」

カートの死とウッドストック94で状況一変

一方、94年4月、ニルヴァーナカート・コベインが自宅で猟銃自殺したという衝撃のニュースが入ってきます。ロックの流れを世界次元で大きく変えたカートでしたが、富や名声をこの世の春として謳歌できずに却って苦悩を深めてしまったその生き様もまた「ロックの変化」を世に知らしめる形となり,日本でも驚きを持って迎えられました。しかし、日本のロックリスナーはその4ヶ月後のウッドストック94でさらに驚くこととなります。

NHKのBSでも生中継されたウッドストック94は、いざ、ナイン・インチ・ネイルズレッド・ホット・チリ・ペッパーズが豪雨と泥中で狂乱する観客に当時の先端だったインダストリアル・ロックやミクスチャー・ロック(第11章参照)を披露し、翌朝の嵐の去った昼間に行なわれたアメリカの新たなパンクロックの雄、グリーン・デイの泥が投げかけられる中でのライブを行なうと反響はかなり大きく、そこではじめてアメリカのロックの変わりように驚いた人が続出しました。事実、日本のレコード会社にオルタナティヴ・ロックをようやく押そうという気運が生まれたのはその直後でした。その気運を「FINE」をはじめとする、ストリート・ファッション誌が後押ししました。彼らはミクスチャーや、グリーン・デイオフスプリングを筆頭とした西海岸のメロコア、そして、ヒップホップやロックの次元を超え、当時最高のサウンド・クリエイターかつストリート・カルチャー・アイコンになっていたビースティ・ボーイズなどを熱心に押しました。ニルヴァーナのドラマー、デイヴ・グロールがカート亡き後、自らフロントマンに転身したバンド、フー・ファイターズもデビューしすぐにこうした波にも乗れました。

Green Day「Basket Case」(Woodstock 94)

90s最大の人気洋楽ロック、ブリットポップ

そして、この時代、いや、この先20年あまり、日本の洋楽ロックで強い影響力を持つことになったのはUKロックでした。前章で触れたインディ・ダンスやシューゲイザーのムーヴメントはグランジ旋風に吹き飛ばされる形で終焉しましたが、UKロックはすぐに息を吹き返します。まずはスエードマニック・ストリート・プリーチャーズなど、70年代までのオーセンティックなバンド・スタイルのサウンドでアピールし、「伝統復古」のイメージを強めますが、そんな流れの最たる2組が94年に一大旋風を巻き起こします。

ひとつめはブラーでした。ロンドンのアート系カレッジから当初シューゲイザーのイメージでスタートしたブラーでしたが、彼らは知性派パンクバンドのXTCを思わせるギターに、キンクススペシャルズを彷彿させる英国人特有の皮肉っぽいユーモア・センスで「英国らしさ」をアピールし、3rdアルバム『パークライフ』で全英1位に輝きました。彼らの場合、フロントマンのデーモン・アルバーンが王子様的イケメンだったため、日本の洋楽界にとって久々にアイドル人気で女子中高生が獲得できるバンドにもなりました。

Blur「Parklife」

その一方で、半ば宿命的に登場したのがオアシスでした。ザ・スミスニュー・オーダーストーン・ローゼズを生み出しイギリス最大のロック・シティと化したマンチェスターの労働階級出身の彼らは、高校中退の配管工のノエルと、フーリガンの弟リアムのギャラガー兄弟による、ビートルズの甘美なメロディとセックス・ピストルズの破天荒さを合わせた、これまでのUKロックの最大級のアイコンの意匠を継承することで注目を浴び、94年9月のデビュー・アルバム『ディフィニトリー・メイビー』から破格の成り上がり的成功を手に入れました。そして、同作が全英初登場1位のタイミングで初来日公演を行ない、連日ソールドアウトの大盛況となります。

Oasis「Live Forever」

すると、この2バンドの台頭に押し上げられる形で、95~96年にかけてイギリスでは久々にロックが国を代表する音楽として復活し、パルプスーパーグラスエラスティカオーシャン・カラー・シーンキャストザ・ヴァーヴといったバンドが次々と人気となり、スタイル・カウンシルの活動を終えソロになったポール・ウェラーがシーンのボス的存在として復活を果たしました。日本でもメンズウェアクーラ・シェイカーといったアイドル性の強いバンドが本国以上の熱い支持を獲得しました。こうしたブームは「これまでのUKロックの遺産を受け継いだルネサンス」的な意味合いも込めて”ブリットポップ”と呼ばれました。このブームは95年秋、ブラーオアシスが次作を同時期に発表した際に同国のメディアが対決を煽ったことで空前の盛り上がりを見せましたが、日本でもそこでブームが最高潮に達します。なお、全く同じ頃に、レディオヘッドの2ndアルバム『ザ・ベンズ』も本国イギリスや日本でヒットしました。今や欧米だと、「グランジへの回答」とも称されたダイナミックなギター・サウンドが先述した「UKロック・ルネサンス」の定義にはまらないことや、彼らのその後のサウンドの急速な進化ゆえにブリットポップからは外してとらえようとする傾向があります。しかし、当時の感覚で言うと彼らのファン層はやはりブリットポップのリスナーが大半ではあったため、改めて線引きする意義を僕個人は感じません。

また、レイヴ・ブーム後のイギリスではクラブ・ミュージックの急速に細分化と進化を遂げました。ザ・プロディジーケミカル・ブラザーズは、生ドラムやギターをサンプリングすることでテクノをロック化させた「ビッグビート」を築き上げブリットポップ世代のロックファンを魅了しました。そこにアンダーワールドファットボーイ・スリムも加わることで彼らは「四天王」としてイギリスと日本で愛されます。また、ヒップホップDJによるインストゥルメンタル部分を発展させたへヴィなグルーヴ、トリップホップもマッシヴ・アタックポーティスヘッドによって重要な音楽となり、さらにレゲエ起源のへヴィで高速なビートのドラムン・ベースも90年代半ばにヒップなものとして高い注目を受けました。また、高速のハードコア・テクノから浮遊感溢れるアンビエント、そしてドラムン・ベースまで自在に操る鬼才DJエイフェックス・ツインも日本を含め世界的に脚光を浴びました。

そしてアイドル・ポップでも、「オーディションの負け組」のコンセプトで作られたスパイス・ガールズが共感を集めて世界的な人気グループとなったり、映画でも『トレインスポッティング』を皮切りにダニー・ボイルガイ・リッチーの監督作が注目されたり、プロ・サッカーが「プレミア・リーグ」に改編して成功しデヴィッド・ベッカムのようなスター選手が登場するなど、イギリスに世界が注目する理由が揃ってもいました。時の労働党党首で後の首相のトニー・ブレアは「クール・ブリタニア」と銘打ち、文化の輸出を奨励する方針を打ち出しモダンさをアピールしました。

世間的には圧倒的に強かったメインストリームのJ-POP

ただ、それでも、当時の日本で最も一般的に聴かれたのは、やはりバブルからの流れを汲むJ-POPでした。中でもavex traxに勢いがありました。マハラジャやジュリアナ東京のダンス・コンピレーションCDで成功したavexは、TM NETWORKでの活動を終えつつあった小室哲哉とタッグを組み、同社のダンス・ミュージックの感覚をJ-POPに持ち込み、trfglobe華原朋美、そして安室奈美恵といった女性ヴォーカル主体のダンス・ポップで一世を風靡します。特に安室のファッション・センスは90年代半ばから渋谷のセンター街で目立ちつつあった“コギャル・ブーム”に火をつけましたが、以降、かなりの長きに渡り、同地がavexにとっての重要な戦略拠点にもなります。

また、安室の音楽志向は次第にユーロダンス系のものからR&B/ヒップホップに移行していきますが、同様の傾向は沖縄アクターズ・スクールの後輩でもあったSPEEDにも見られました。当時はこうした音楽的付加価値がつかないとアイドルとしても成立しなかった時代でもあります。また、この頃は、彼女たちがフェイヴァリットにあげるガールズ・ヴォーカル・グループのTLCやヒップホップ・グループ、フージーズの才女ローリン・ヒルなど女性アイコンが国際的な成功を収めはじめた時でもありました。

そして、ヴィジュアル系が94~97年にかけて、LUNA SEAラルク・アン・シエル黒夢、そしてGLAYの現象的ヒットで巨大化します。とりわけ96~98年の日本のチャートの上位は彼らの曲で独占された状態でしたし、ヴィジュアル系の専門誌も全盛の頃には10冊前後あったし、専門誌的スタンスではなかったものの、「音楽と人」を興した元RCOKIN’ ON JAPANの市川哲史もヴィジュアル系界隈で重要な批評家となります。また、ライブハウスのシーンも池袋や目黒などで盛り上がり、テレビの深夜番組でも専門番組が組まれ、ワイドショーなどでも取り上げられました。

ヴィジュアル系は前章の最後でも述べたように、ヘヴィ・メタルやゴス系ニュー・ウェイヴなど、当初は洋楽ロックの影響を強く感じさせ、このブームのときにもバンドによってはそうでした。しかし、音楽的な言及がされにくいムードが徐々にできあがり、次第にメイクやファッションの特異さや楽曲の歌謡曲っぽさの方が 好まれていく傾向が強まり、前述した渋谷系以降のロックを好むリスナーとの相性も悪くなっていきました。そんな中、X JAPANで最もオルタナやUKロックに理解のあったhideは、同バンド解散の97年以前から、ソロのプロジェクトでインダストリアル・ロックを展開し、自身のレーベルでシューゲイザー系のバンドを紹介したりと、枠に捕われない柔軟性で既成概念を壊しました。彼の影響でナイン・インチ・ネイルズや、当時アメリカで社会現象になりはじめていたマリリン・マンソンを知ったという人も珍しくありません。このようにX JAPAN解散後も高く期待されていたhideでしたが、その矢先の98年5月に急死したのは非常に惜しまれます。

国際的な進化が止まらなかった日本のオルタナティヴなシーン

しかし、90s半ばで最も音楽的に刺激的だったのは、輸入盤店のカルチャーでした。95年3月には渋谷神南に8F建ての巨大なタワーレコードが新装開店し、東京の輸入盤店の象徴的存在になりました。そんな文化の中、洋楽では、前述までのブリットポップやメロコアなどの流れに加え、カーディガンズを筆頭としたスウェディッシュ・ポップも人気があり、アメリカのインディ・ロックファンにはサンプリング世代の気鋭のフォークシンガーのベックや、ナードなユーモア・センスをポップなギター・サウンドに乗せたウィーザー、ほかにもジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンベン・フォールズ・ファイヴなどが輸入盤の時点から人気を呼んでいました。また、アラニス・モリセットシェリル・クロウなどの新世代の女性ロックが日本のFMの新たなフェイヴァリットの路線にもなりました。

Weezer「Buddy Holly」

そして、国内アーティストの国際進出も目覚ましい時代でした。90年代前半からアメリカではノイズバンドのBoredomsやガールズ・パンクバンドの少年ナイフが、かのカート・コベインをもファンにするほどの支持を得ていたし、Buffalo Daughterビースティ・ボーイズのレーベル、グランド・ロイヤルからアルバムを発表し、ニューヨークを拠点とする女性2人組チボ・マットはワーナーからメジャー・デビューも飾りました。そしてイギリスでも、テクノ界からケンイシイ、ヒップホップ界からDJ KRUSHが96年にイギリスのヒットチャートにランクインを果たす快挙を成し遂げます。さらに渋谷系も海外進出します。ピチカート・ファイヴコーネリアスは共にアメリカの名門インディ・レーベル、マタドールと契約を結び好評を得て、共にイギリスでチャートインも果たすことになり、それは「Shibuya-Kei」という音楽ジャンルを世界に広げることにもなりました。また、Hi-Standardマッド・カプセル・マーケッツなど、メロコアやミクスチャーの日本の元祖的存在が国の内外で積極的にライヴ展開し、日本のシーンでカリスマ化しました。

Cornelius 「Star Fruits Surf Rider」

そして邦楽でも、この頃の洋楽サウンドに負けない進歩的なアーティストが続々と推薦され、パンキッシュなパブロックのミッシェル・ガン・エレファント、和製ダブ・サウンドのフィッシュマンズ、“現代版はっぴいえんど”と称されたサニーデイ・サービスをはじめ、GREAT3シアターブルックEL-MALOなどは輸入盤店の洋楽寄りのバイヤーに強く支持されました。また、スペースシャワーやMTVなどのCSチャンネルや大阪のFM802などが影響力を持ち、ウルフルズTRICERATOPSGRAPEVINEなどのバンドや、斉藤和義山崎まさよしスガシカオといった音楽のマニア性の強い男性シンガーソングライターや、Bonnie PinkUACoccoといった世界の時代の空気とシンクロするタイプの女性シンガーが推されました。

こうした流れは、「ROCKIN’ ON JAPAN」に加え、タワーレコードのマニアックな販促用フリーペーパー「bounce」や、元「ROCKIN’ON」副編集長の田中宗一郎が起こした、洋邦のロックの区分をなくし、クラブ・ミュージックにも積極的な点で画期的だった「SNOOZER」を通じ伝えられていきました。

この90年代半ばという時代は欧米でもかなりの早さで細分化が進みますが,探究心の強い、世界に目の向いたアーティストが多かったことでそれにうまく対応でき、日本のシーン自体の層も広げることもできました。そして、こうした成果が、以降の日本に20年近く根付くことになるロック・フェスティバルの文化をもたらすことにもつながっていきます。

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