コラムスピン :第112回:「ロックと日本の60年」第13章 世紀末、ブリットポップ、オルタナの死と、ピーク迎えた日本のロック・シーン

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第112回:「ロックと日本の60年」第13章 世紀末、ブリットポップ、オルタナの死と、ピーク迎えた日本のロック・シーン

今から18~15年前の90年代末、日本のロック/ポップ・シーンは多様化し、欧米と比較しても負けない一番カッコいい時期を迎えました。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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バブルで享楽に耽るうちに、アメリカからのシリアスなグランジの波を受容し損ね、海外からの情報の受け方が後手になりはじめた日本の音楽界でしたが、90s半ば頃に何とか巻き返したところまで前回はお話ししました。今回はその状態から21世紀に向けてどうなったかについてお話ししましょう。

フェスの時代がはじまった

1997年7月26日、山梨県富士天神山スキー上で第1回のフジロックが開催されました。このときのラインナップは初日がレッドホット・チリ・ペッパーズをヘッドライナーに、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンフー・ファイターズ、2日目がグリーン・デイをヘッドライナーにマッシヴ・アタックベックプロディジーウィーザーという、後のフェスのヘッドライナー・クラスがズラリと揃った、振り返るに実に豪華な顔ぶれでした。ただ、台風が直撃し豪雨での開催となり、さらにステージが崩壊状態になったことで、2日目は中止の憂き目を見ました。しかし、これにくじけることなく、フジロックは毎年開催されるようになり、第3回の99年からは現在の新潟県の苗場スキー場で毎年開催されるようになりました。

フジロックの招聘プロモーターはスマッシュですが、2000年にはこれに対抗しクリエイティヴマンが東京(厳密には近郊)、大阪の2会場の形式でサマーソニックを開催し、原則土日の2日開催で今日まで毎年行なわれフジと並ぶ日本の2大洋楽ロック・フェスとして定着しています。そして日本のアーティストに絞ったものでも、99年に北海道の石狩でライジング・サン・ロックフェスティバル、2000年には「ROCKIN’ ON JAPAN」が主催する「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」がはじまります。この邦楽ロック・フェスは、ヴィジュアル系や売れ筋J-POPのアーティストが全く出ないことでも注目されました。

こうしたフェスが日本で可能となったのは、前章にも書いたように、英米でのオルタナ、インディのカルチャーが盛り上がってアーティストが大量に登場したこと、そして、それと時を同じくして日本からも、ヴィジュアル系や80sまでの大物アーティストに頼らなくても、90sに登場した新しいバンドたちだけで十分フェスが組めるほどの人材が揃っていたからです。

英米で次々に終わった90sのシーン

しかし、その矢先に、90sの英米のロックシーンの隆盛を支えたムーヴメントが終焉してしまいます。60s以来のカルチャーの繁栄を迎えていたイギリスでは、ブリットポップが粗製濫造の末に次第にブレーキがかかり、98、99年頃になると新人バンドがほとんど結果を残せなくなり、人気者たちも次々と勢いを落としました。メディアには「ブリットポップは死んだ」の言葉が踊り『OKコンピューター』でギターロックの枠を超え、世紀末らしい混沌と不穏な空気を漂わせたレディオヘッドのカリスマ性が際立ってきました。

そしてアメリカも大きく変化しました。99年にもなると90年代を覆っていた張りつめたシリアスな空気が晴れ、好転した景気と共に楽天的で陽気、やんちゃな空気が求められるようになりました。サウンドガーデンスマッシング・パンプキンズなどグランジの大物が解散し、メジャー契約を結んでいたバンドも契約を切られました。その中で人気を博したのは、ストリート志向よりもお下劣なファニー・ジョークでやんちゃな低年齢層にアピールしていったブリンク182をはじめとしたメロコア新世代やリゾート感覚溢れるリラックスしたフィーリングのスカコアなどもありましたが、なにより瞬間風速的に爆発的な人気を誇ったのがミクスチャー・ロックの新世代でした。

KORNスリップノットなどに代表されるこうしたバンドは、ヒップホップのビートの雰囲気を生演奏で表現したような感覚や、ヘヴィなサウンドにポリリズムを導入するなど音楽的進化の面で興味深い点を見せてはいたものの、それはかつてグランジが「ハードロック的」と指摘されたときの何倍も音圧的に重く攻撃的なもので、新しい要素を差し引けばヘヴィ・メタルと変わらないものでした。加えて、ロックスターとしての栄華をセクシーな美女を傍らにはべらせ得意になる様をひけらかすリンプ・ビズキットフレッド・ダーストのような姿は、かつてのレザージャケットとロングヘアとスキニーな体のへヴィ・メタルのスターが、ヒップホップ・ウェアと丸刈りとジムで鍛えた肉体に見かけが変わっただけで、それは、スターダムに押し上げられるうちに苦悩し自ら命を絶ったカート・コベインと真逆の世界観でした。

しかし、こうした変質がありながらもリンプらは英米でも当初オルタナ系メディアで紹介され、日本でもこれに倣い「ROCKIN’ ON」や「CROSSBEAT」で推されます。この頃は日本でもミクスチャーの先駆組のレッチリやレイジがカリスマ化していたため。タイプは明確に違うものの、その流れで紹介出来ると踏んだのかもしれません。そういうこともあってか、日本では欧米で使われはじめていた「ニュー・メタル」「ラップ・メタル」の呼称を使わず「ヘヴィ・ロック」、「ラウド・ロック」と呼んでリンプらを紹介しました。

Korn「Got The Life」

日本の新世代ロックが一番カッコよく見えた時代

こうして英米のムーヴメントが共に失速していく中、俄然元気に見えたのは日本でした。それは、世界から大物が集っていたフジロックの場でさえ発揮されました。98年の第2回では、昼過ぎの炎天下の中で行われたメインステージでのミッシェル・ガン・エレファントのステージで、熱狂した観客の将棋倒しが相次ぎ、4度演奏が中断されました。それはヴォーカルのチバユウスケの「大丈夫か?死ぬなよ」のMCと共に伝説化しました。そして2000年には3日開催のフジロックの2日をミッシェルとブランキー・ジェット・シティという、当時の日本のロック界を代表する2バンドが大トリをつとめました。今日までそれ以降、邦楽バンドのトリは1日もありません。

ミッシェル・ガン・エレファント「GWD」

そして、このミッシェルやthe pillowsなど実に多くのバンドが拠点としていた下北沢がバンド少年たちのひとつの拠点となり、Queやシェルターといったライブハウスで注目バンドがライブを繰り広げました。97年にはそこにスペースシャワー(第12章参照)がインディーズ専門のCD店、「ハイライン・レコード」をオープンします。ここでは、台頭著しかったインディ・レーベルのCDはもちろん、自主制作のCD、またはカセットテープも積極的に取り扱ったため、駆け出しのバンドたちにとっての指標となりました。

その一方、Hi-STANDARD主催のパンクロックとストリート・カルチャーのライブ・イベント「AIR JAM」がスタジアム規模の成功を収めたことで、ここからハイスタはもちろんHUSKING BEEBRAHMANBACK DROP BOMBなどのバンドが広く知られるようになります。この時期は日本でもメロコア、スカコア、ミクスチャーが人気で、アメリカのシーンとも音楽的志向の意味では連動したものの、彼らの場合、当時の日本のメジャーのレコード会社の体質の問題もあり、よりインディにこだわった音楽的展開を行いました。

また「インディのカリスマ」と目されていたバンドがメジャーで作品発表を行うことも相次ぎました。アメリカのインディ・シーンで知名度をあげメジャー・デビューした爆音ガレージ・バンドのギターウルフや、札幌のストイックなパンクシーンのカリスマだったブラッドサースティ・ブッチャーズイースタンユース、そして高円寺の生んだ時代を超えたサイケデリック・ロックバンドのゆらゆら帝国などが台頭しました。

そして99年はチャート上でも大きな変化が起きました。椎名林檎、そしてDragon Ashがシングルでトップ10級、アルバムで1〜2位の大ヒットを連発します。かたやグランジ風ギターに乗せ漢字を多用した妖艶な世界観をパワフルに歌い上げる女性ロッカー、かたやアメリカのストリート・カルチャーに強い影響を受けたミクスチャー・ロック。グランジ/オルタナ・ブームから7年遅れて遂にこうしたヒットが生まれるようになりました。

椎名林檎「ここでキスして」

多大な影響を与えた「98年の世代」

ただ、後年から考えて、この当時の日本のロックバンドで後年もっとも影響力が大きかったのは、雑誌「SNOOZER」が後に「98年の世代」と呼ぶこととなった、文字通り、その年前後にデビューしたバンドたちでしょう。その代表格が青森のスーパーカー、京都のくるり、そして福岡のナンバーガールで、彼らは2000年代に人気を獲得していった後続のバンドたちの影響源としてしばしその名をあげられる存在となりました。

彼らがそうした存在となった理由は様々ですが要約すると、この当時のリスナー側の中心で人口的にも多かった団塊ジュニア(70年代半ば〜後半生まれ)と同世代で共感と憧れを抱かれやすかった、フロントでなくサイドに女の子がいたりフロントマンがメガネをかけるなど構成的な面白さがあった、いずれも地方出身だったことで、東京のシーンのパターンに染まらず独自性が生まれたこと。歌詞の語幹に新世代らしい響き(この点に関しては椎名林檎にも通じる要素があります)があった、バンドのメンバーが欧米のロックのかなりのマニアで同時代を生きた洋楽のバンドと聴いて遜色がなかったことなどが理由でしょう。ナンバーガールに至っては洋楽ロック専門誌の「CROSSBEAT」でも積極的に取り上げられ、洋楽ファンからも一目置かれていました。こういう状況に加え、前述したように英米でブリットポップやオルタナが下降線を下っていた頃でもあったことが重なり、英米の新人よりも彼らの方が輝いて見えやすい環境にはなっていました。

くるり「東京」

ナンバーガール「透明少女」(1999 RSR)

今、名前をあげた3バンドに関しては後年に影響力を持つ理由がもうひとつあるのですが、それは後述することにしましょう。また、同じ頃には「宅録の天才少年」と騒がれた中村一義や70sのシティポップを現在に更新したキリンジや、後にハナレグミとして大成した永積崇率いたクールなファンク・バンドのSUPER BUTTER DOG矢野顕子ともよく比較された原田郁子の童話的な歌世界にポップかつ先鋭的なひねりをくわえたクラムボンなども登場しました。バンド活動をする若い人たちのマニアックな創作意識は上がっていく一方でそれがマックスに達していたのがこの頃だったかもしれません。

日本で根付きはじめたR&Bとヒップホップ

また、1999年は日本でR&Bとヒップホップがようやく流行りの邦楽として認知をされるようになった年でもありました。そのキッカケとなったのはR&Bでは宇多田ヒカルでした。前章でも書いたように、SPEED安室奈美恵といった沖縄からトレーニングを積んだタイプのアイドルがR&Bのアーティストからの影響を口にしていたし、98年にはMISIAが高い歌唱力で話題を呼んでいましたが、15歳にしてみずから楽曲まで作ったこと、英語がネイティヴであることによる、日本語の文法セオリーを無視した画期的な譜割(フレーズが助詞ではじまるなど)などが話題を呼び、日本のポップスに新風を吹き込んだとして大きな話題を呼び、メガセールスを記録しました。

宇多田ヒカル「Automatic」

また、99年のDragon Ashのヒット曲「Grateful Days」にZEEBRAがフィーチャリングされたことをキッカケに、これまで“知る人ぞ知る”感じだったヒップホップ・アーティストたちが表舞台に浮上しやすい状況もできました。90年代半ばにEAST ENDによる「DAYONE」のポップヒットがあったり、アメリカではむしろ「オルタナティヴ(非主流)」な非マッチョ系のスチャダラパーTOKYO No.1 SOUL SETが渋谷系経由で先にウケたこともあり、日本でアメリカでのようなタフでコワモテなヒップホップは難しいとされていたのです。ただ、こうした勢力は、1996年にはライブ・イベント「さんぴんキャンプ」で日比谷野音を埋め尽くすくらいの勢力はあり、ZEEBRAのいたグループのキングギドラBUDDHA BRANDなどの実力派は揃っていて、いつ注目されてもおかしくない段階にはありました。

そんな状況を効果的に活せたのは、シーンの中で知性派のRHYMESTERでした。ヒップホップ評論家でもあったラッパー宇多丸を中心とした彼らは、RIP SLYMEKICK THE CAN CREWといった後輩格と共にコミュニティ「ファンキー・グラマー」を築き、比較的非マッチョ系でこそあったものの、インディでの本格的シーンから叩き上げたことでDJやラップなどヒップホップの基本的な流儀にもしっかりリスナーを注目させつつ、後輩たちがシングルのトップ10ヒットが出せるくらいの大衆的人気もやがて獲得していきます。

「次代のロック」として日本で大いに期待されたエモとポストロック

好景気突入で時代が華やぎ、アメリカでのロックが享楽性を求めたニュー・メタル、そしてポップパンクへと変わっていく中、90sの頃のような内向的なロックを求める人は「失われた時」を過ごさざるを得ない状況でした。アメリカ、そしてブリットポップが終わったばかりで次のシーンが見えなかったイギリスのロック系メディアはこの状況に危機感を持ち、さまざまなものを「次のシーンの流れ」として求めようとしました。

期待された名前の中には、“オルタナ・カントリー”と呼ばれた新しいアメリカン・ルーツロックのウィルコライアン・アダムス、スコットランドはフラスゴーのギター・ポップ小楽隊のベル&セバスチャン、カリフォルニアのモハーヴィ砂漠を拠点とするヘヴィなロックンロール・セッション・ユニットのクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジエリオット・スミスルーファス・ウェインライトなどの新世代の内省的シンガーソングライター、フランスのヴェルサイユのシーンから生まれたダフト・パンクフェニックス、そして、“ポスト・レディオヘッド”として注目され、同バンドの“剛”と“柔”をそれぞれ継承し後年フェスのヘッドライナー格にまで成長したMUSEコールドプレイ。これらのアーティストはいずれも後年成功しましたが彼らが次のシーンを切り開いたわけではありませんでした。特に日本では、そんな彼らよりも断然期待されたのがエモ、そしてポストロックでした。

「エモ」は「文科系の風体でのパンク」「暗い心情(エモーション)を歌ったもの」というところから、ものによっては「短時間で複雑な曲展開をする」というものもありました。代表的アーティストとして期待されていたのはアット・ザ・ドライヴ・インジミー・イート・ワールドゲットアップ・キッズデス・キャブ・フォー・キューティなどで、90sに一時成功した後、活動が滞っていたウィーザーもこの流れに乗って再評価されました。

そしてポストロックは、90年代後半には「音響系」とも呼ばれていたように、楽器の音色やコード、リズムなどに従来のロックで使わなかったようなものを使うことを目的としたもので、かなり実験的なものでした。これはシカゴのアンダーグラウンド・シーンのバンド、トータスを中心にはじまり、当初は生バンドがジャズや初期フュージョンの影響をストイックかつグルーヴィーに表現した趣きでしたが、やがてそこにモグワイのようにシューゲイザー(第11章参照)のような轟音ギターを主体としたインスト・バンドや、踊らせることを目的としない“エレクトロニカ”と呼ばれる電子音楽の手法を用いたアーティストも加わっていくことになります。

エモやポストロックの流れは日本で90年代末にアメリカのインディ・シーンに注目する人のあいだで密かに話題になっていたものでしたが、それがやがて渋谷のクアトロにそれらの専門CD店があった「ワルシャワ」(後のSome Of Us)が日本のインディ系のロック・アーティストやファンのあいだで人気を博したことで広がっていくことになりました。そして、その系統のファンが特に多かったのが前述の「98年の世代」のバンドでした。

たとえばスーパーカーが“トランス・ロック”とも呼ばれ日本でのポストロックのはしりだったROVO益子樹と協業でバンドをエレクトロ化させたり、くるりがシカゴ音響派人脈のジム・オルークをプロデュースに迎えたり、モグワイをプロデュースしたデイヴ・フリッドマンを迎えてナンバーガールが制作したアルバム『SAPPUKEI』でダークで複雑な楽曲展開のサウンドを展開しました。加えて、トータスの中心人物ジョン・マッケンタイアをソロ作のプロデュースに迎えたGREAT3片寄明人や、UAクラムボンなどにポストロック的な楽曲アレンジが目立つようになっていきます。また、和製エモの元祖としてイースタンユースやブラッドサースティ・ブッチャーズをあげる声も多く、彼らと交流の深いナンバーガールもカウントされがちでした。

またこの時は、レディオヘッドビヨークなど、当時世界の先端を行っていたアーティストもエレクトロニカに影響を受けたストイックで観念的な作品で話題を呼んだ時とも重なったため「今後、21世紀はこうした方向で音楽が進んで行くのでは」と、ストイックで真面目なタイプの音楽ファンが信じ込み易い状況も生まれていたこともたしかです。事実、レディオヘッドの『キッドA』は「ロックを解体する作品」として随分もてはやされました。日本のライブハウスのシーンでも。これ以降、若いインストのバンドが増えて行くという、きわめて異例の流行まで生まれたほどでした。

Radiohead「Everything In Its Right Place」

アメリカで既に新しい時代がはじまっていた

こうした難解なポストロックや変拍子の目立つエモは、プログレが元々強く(第5章参照)、パンクの時代に当初直情的な路線よりも観念的で実験的なものから入った(第8章参照)日本人のメンタリティには非常に合い易かったことは今にしてみれば理解はできるのですが、僕自身は同時に疑問もありました。それは、これらが「シーンの次にとってかわる音楽」としては難しい音楽である気がしたからです。特に欧米はロックでもラジオでの影響力に左右されるところです。その当時までのポストロックやエモで英米での放送媒体に乗りやすいとは考えにくかったのです。ただ、ストイックに難しく聞こえる音楽を作ることが「音楽的に先進的」だと錯覚しやすい状況が、なまじ日本のシーンに勢いがあったために生まれていました。

しかし皮肉にも、アメリカのシーンは既に次の時代に移行していました。その代表のひとつがビヨンセ擁するデスティニーズ・チャイルドでした。高速ビートでラップ風に刻まれたリズムを正確に口で追いつき、かつ力強い歌声で歌い上げ、女性としての力強い主張を堂々と展開するビヨンセは当時まだ10代でしたが、既に次代のポップ・クイーンの風格が漂っていました。

そして、もうひとりがラッパー、エミネムでした。黒人中心のヒップホップ界で異例の白人ながら圧倒的な高速ラップのスキルを誇る彼は、当時ポップ・ミュージック界を賑わせていたスーパー・アイドルのブリトニー・スピアーズインシンクをコミカルに茶化すという子供にもわかりやすいラップ内容でキッズを掌握しつつ、同時にドラッグや殺人などの社会問題をブラック・ジョークで風刺し、かつ、自身の家庭内の生々しい争いまでをも題材にするという斬新さで、ヒップホップにこれまでありがちだった「荒んだストリートからの黒人たちのリアルな叫び」のイメージに新風を注ぎました。

当時、僕はスカイパーフェクTVに入っていた「Channel V」という、香港やオーストラリアを拠点とする音楽チャンネルで、ほぼ1年中、毎日何度も立て続けにへヴィ・ローテーションされるこの2組の才能に驚き、「いつの間にこんなことに」と驚いたものでした。ロックがストイックに難解な方向性を模索するあいだに、大衆にわかりやすいポップな才能は既に飛び出していたのです。奇しくも日本ではデスティニーズ・チャイルドが99年のアルバム発売タイミングに一瞬プッシュされた程度でエミネムに関しては完全ノー・マーク状態でした。「こうしているうちに、また世界と日本で格差が生まれてしまうのでは」。僕は少し悪い予感を感じはじめていました。

Destinys Child「Bills Bills Bills」

Eminem「Real Slim Shady」

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