コラムスピン :第114回:「ロックと日本の60年」第14章 2000年代、世界のシーンは動き、日本は閉じた

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第114回:「ロックと日本の60年」第14章 2000年代、世界のシーンは動き、日本は閉じた

日本では90年代の影響がことのほか長く君臨し、00年代とのリンクはどこに?iPodが発売(2001年)、iTunes Music Store(03年)、YouTubeスタート(05年)と視聴環境が目まぐるしく変わった時期でもあります。

この記事の筆者

1970年生まれ。音楽ジャーナリスト。NHK-FMで「ライブビート」など制作後、1999年よりフリーの音楽ジャーナリスト。2004年、インディ・ロック雑誌「Hard To Explain」を立ち上げ現在も継続中。2010年、ブラジルのサンパウロに移住。ジャーナリスト活動は依然継続中でポルトガル語、英語の翻訳業も展開。海外エンタメの情報ブログ、THE MAINSTREAMは毎日更新中。

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90年代半ばから輸入盤文化やファッション誌などの影響で急速に発展し、90年代末にロック・フェスの文化がはじまる頃にはオルタナやブリットポップのブームが終わった英米さえもかっこよく思えた日本のロック・シーン。今回はそれが2000年代に入ってどうなっていくのかを話していきましょう。

ロックの流れを変えてしまった9・11

2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが勃発しました。ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が激突し崩壊していく姿を覚えていらっしゃる人も少なくないでしょう。あの事件は世界中の人にショックを与えましたが、アメリカ人の動揺はひときわ大きく、それはロックの流れさえも変えました。

この影響で、アメリカ国内で暴力的な言葉を撒き散らす過激なタイプのロックがラジオのオンエアで制限されました。それは少し話を聞く分には保守的に聞こえるかもしれませんが、当時のアメリカでは「妥当」と解釈されました。それは、当時最大の人気バンドだったリンプ・ビズキットの暴力を煽るようなパーティ・ロックが「やりすぎだ」と思われていたためです。実際、彼らが「ウッドストック99」に出演した際のライブではレイプ事件が起こり、問題視もされていました。これで、リンプなどのやんちゃっぽさで売っていたミクスチャー・ロックは急速に失速し、代わってミクスチャーでもリンキン・パークインキュバスなど暴力性の低いメロディックなものや、他のニュー・メタルでもシステム・オブ・ア・ダウンTOOLなどのストイックなタイプ、またはニッケルバックのようなグランジ系バラードがウケました。また、ノラ・ジョーンズジョン・メイヤージャック・ジョンソンのようなシンガーソングライター系やオーガニック系R&Bのような癒しのフィーリングのあるソフトなものがラジオ的には好まれるようになりました。

「アートなロックンロール」への原点回帰、はじまる

しかし、そうした流れよりも絶大な支持を受けることになったのは、ニューヨーク、そしてデトロイトから登場した2つのバンドでした。ひとつはザ・ストロークス、そしてもうひとつがザ・ホワイト・ストライプスでした。

ニューヨークの5人組ストロークスは、グランジ以降すっかり重くなっていたギターにスカスカの音色とロックがしばらく忘れていた軽快なリズム感覚を取り戻し、スポーティになっていたファッションにはTシャツやジャケット、スキニー・ジーンズの洒落た着こなしで対抗しました。そしてメグとジャックのホワイト姉弟からなるドラムとギターの2ピースのホワイト・ストライプスは、限られた楽器の数をジャックの驚異的なギター・テクニックと創造的な爆音、ブルースやフォークへの溢れる造詣の深さで補ってあまりある表現を展開し、赤と白に統一されたファッションでアートへのこだわり、そしてマッチョ一辺倒だった当時のロックにフェミニンな感触も与えました。

The Strokes「Last Nite」

The White Stripes「Fell In Love With A Girl」

この2バンドは2001年の後半にイギリスで熱狂的に支持され、その波はアメリカにも伝わります。チャート的にはそこまで大きなものではなかったものの、ストロークスの『Is This It』、ホワイト・ストライプスの『White Blood Cells』はこの年の英米の音楽媒体のほとんどの年間ベストの上位を独占しました。「ようやくロックの救世主が現れた」との批評も目立ちました。

しかし、この頃の日本での彼らの評価は、驚くほどに低いものでした。「Rockin’ On」「CROSSBEAT」「SNOOZER」が雑誌の方向性として批判することはなかったものの、ライターによっては「NMEがまた空しいハイプを作った」「創造性のないレトロ」などといって攻撃する人の姿も見られました。そして、それがとりわけ強かったのは、日本のインディのバンドや、そのファンたちでした。それは前章の最後でも述べたように、彼らが既にエモやポストロックに「ロックの未来が存在する」と信じ「21世紀にもなれば、ロックは解体して進歩するべきなのだ」と思い込んでいたからです。また、ブリットポップのファンの中には、イギリスで認められて出世したバンドなのに「アメリカのバンドだからダメだ」という人もいました。こうした論調は、ネット上での音楽コミュニティでの書き込みでよく見られたことで、そうしたダイレクトな声が広がりやすい時代にもなっていました。

ところが、英米のシーンは日本の音楽ファンの思惑とは全く異なる方向に進んでしまうことになります。前述の2バンドに続いてはスウェーデンからザ・ハイヴス、オーストラリアからはザ・ヴァインズがこれに続きます。さらにストロークスに続いてヤーヤーヤーズインターポールなどが登場することによって、ニューヨークの新しいインディ・ロックのシーンがロック界のみならず、モード系のファッション関係からも注目を浴びました。しかし、ファッションがストリート系一辺倒になっていた日本はこれも逃します。そして、「空しいハイプ」どころか、ベックノエル・ギャラガーをはじめ、むしろミュージシャン気質の強いアーティストに高く評価され、「彼らに勇気を与えられてバンドを作った」と後続のバンドに感謝さえされています。

当時のこうした英米とのズレは、パンク(第8章参照)やグランジ(第11章参照)のところでも述べたように、「ロックが行き詰まったら3コードのロックンロールに原点回帰する」という考え方に日本人がいかに不得意かが3たび露になった瞬間でもありました。これでグランジのときの遅れを回復しつつあった日本の洋楽ロック吸収は再び遅れることとなりました。

そしてイギリスでも、この波に対応するかのように、イースト・ロンドンから、やぶれかぶれのパンクバンド、ザ・リバティーンズの登場によって国内のバンドシーンが再活性することになります。オアシスのギャラガー兄弟以来の凸凹コンビ、ピート・ドハーティカール・バラーによるお騒がせドタバタ劇はゴシップ誌もにぎわせました。うちにイギリス、そして日本にもファンを増やしていくことになりました。ここで日本でもUKロックファンが一部反応しはじめますが、彼らよりも「ストーン・ローゼズに雰囲気が似ている」という理由だけでザ・ミュージックの方が好まれる状態でした。

The Libertines「Death On TheStair」

世界も日本も急にキッズっぽくなった

そして、これは世界的な傾向ではありましたが、9/11以降、これまでストリートのイメージだったメロコアやミクスチャーが急に低年齢層向けのものへ一気に変わっていきました。アメリカでもグッド・シャーロットサム41が人気の頃にはファン層は完全に小学生くらいまでに下がり、そこに、2002年当時18歳だったアヴリル・ラヴィーンが“ポップパンクのアイドル”として売り出され世界的人気となります。さらにこの音楽は遂にはディズニー関連の純然たるアイドルの楽曲フォーマットにまでなってしまいました。

すると日本も例外ではなくなります。これまでハイスタをはじめとした英語詞の本格的なパンクロックが強かったところが、沖縄のインディーズからMONGOL800が現象的に成功した際にキッズ人気をつかんだあたりから状況が変わってきます。ORANGE RANGEなどに代表されアイドルバンドがミクスチャーやポップ・パンクで瞬間風速的な成功を収め、テレビの企画から生まれたロードオブメジャー海援隊の「贈る言葉」のカバーで人気を得たFLOWなど、芸能界的な企画性も強くなっていきました。

ただ、「新しい世代」にもっとも影響力を及ぼしたバンドは、パンクのアイドルではなく、下北沢系ロックから生まれたBUMP OF CHICKENでしょう。インディーズ専門のハイライン・レコード(第13章参照)のレーベル第1号でもあった千葉の4人組の彼らは親しみ易いメロディと物語性の強い歌詞で、これまでオルタナやブリットポップをほとんど知らなかった層をファン層に取り込みました。彼らは、ミスチルゆずなどを契機にJ-POPの中でもメロディや詞に対して強いこだわりをもち「なにか良い音楽を聞きたい」と手を伸ばしはじめていた中高生を強く刺激しました。それは80年代後半のBOØWYブルーハーツのとき(第10章参照)のようにバンドの個性で自然に 起こったもので、強い大衆掌握力を発揮した点で意味はありました。

ただ、90s後半には洋楽も邦楽も並行して聴かれていたところが、この辺りから洋楽と邦楽とのリンクが薄くなりハッキリ分かれていくことにもなりました。奇しくもときはブランキー・ジェット・シティピチカート・ファイヴTHE YELLOW MONKEYHi-Standardナンバーガールミッシェル・ガン・エレファントスーパーカーと、洋楽をマニアックに聴きこんで作った音楽性で時代を牽引したバンドが次々と解散や活動休止した時期とも全く重なりました。

BUMP OF CHICKEN「天体観測」

セレブ・ポップの時代

ただ2000年代は、日本も世界もシーンの中心はロックではなく、あくまで“ポップ”でした。前章で語ったビヨンセはソロになりますます大物化しましたが、世紀末にアイドル・ブームを巻き起こしたブリトニー・スピアーズや、彼女の元カレのジャスティン・ティンバーレイクも先鋭的なR&Bやエレクトロ・サウンドを体得することでアーティストとして急成長します。彼らは音楽のみならず自身のファッション・ブランドを立ち上げたりとカルチャー・アイコン的な活動を展開し、この世代の大物セレブとなっていきます。

Justin Timberlake「Rock Your Body」

そしてジャスティンなどに曲を提供し売れっ子だったファレル・ウィリアムスティンバランドがプロデューサーとして注目され、ファレルはシンガーとしても成功します。またジェイZが、ノトーリアスBIG2パックの2大ラッパーの抗争死後のラップ界を圧倒的なスキルと有能なプロデューサーを先読みできるセンスで制します。彼の影響力はビヨンセとの結婚後、より巨大化します。そのジェイZへの楽曲で注目されたのがカニエ・ウェストです。サンプリングからエレクトロまで変幻自在に操る才人の彼は「中流育ちのオタク」的風貌から問題発言を繰り返すことでも話題となります。またアトランタの奇才アウトキャストや、西海岸の知性派から女性シンガー、ファーギーの加入で大衆路線へと転換したブラック・アイド・ピーズも大スターになりました。ただ、2000 sのヒップホップは90sに比べると層が薄く、一部の才能のある人たちだけが巨大セレブ化する傾向も強かったものです。

そして前章の最後で「日本で最初浸透しなかった」と書いたエミネムは、フジロックでいきなりヘッドライナーをつとめるなど仕掛けはしたものの、結局主演映画「8MILE」でのど迫力フリー・スタイル・ラップを見せることが一番早道な成功で日本でもすっかり大きな存在になりました。そして同じ頃、RIP SLYMEKICK THE CAN CREWケツメイシm-floAI湘南乃風などR&Bやヒップホップ、レゲエがチャートの上位を飾るようになりました。

ただ、こと“セレブっぽさ”で言うならavexでしょう。特に、渋谷109の女王となっていた浜崎あゆみが歌詞、言動、ファッションで強い影響力を持ちました。パラパラやトランスといった日本独自のダンス・サウンドを下地にしたavexの歴史に忠実なサウンドも、ギャルたち御用達の雑貨屋、ドンキホーテで鳴り響きました。また、男性で人気を集めたのはEXILEでした。「本格的R&Bシンガーのオーディション」を行なっていたテレビ東京のリアリティ番組「ASAYAN」出身の彼らは、渋谷の“ギャル男”文化や郊外でのヤンキー・カルチャーに強くアピールすることで影響力を高めていきました。

洋楽ロックの新潮流が、邦楽ロック新世代と噛み合ない!

2000年代前半、ストロークス以降の「ロックンロール・リバイバル」のブームが日本のロックリスナーになかなか刺さらなかったのに加え、この頃から進んだ少子化の影響で、ロック雑誌の売り上げも人口層の多い団塊ジュニアの趣味に左右されることになっていきます。洋楽誌の表紙は「オアシスレディオヘッドレッチリグリーン・デイ」の90sからの洋楽バンドのローテーションが続く状態が長く続きました。事実、英米でもオリコン上でも彼らはトップクラスの人気で、「ROCKIN’ ON」で2000年代から恒例の年間ベストでは、この4バンドの作品が2009年まで1位を独占したほどです。

ただ、それでも、ロック・フェスティバルは英米で起こっている事実を隠せませんでした。2003年にストロークスが2日目ヘッドライナーのレディオヘッドの前に演奏し、翌2004年にホワイト・ストライプスがフジロック3日目のヘッドライナーをつとめると、彼らに対する批判は徐々に和らいでいきました。そして2003〜05年にかけて、オーストラリアのジェットが痛快なロックンロール「Are You Gonna Be My Girl」やフランツ・フェルディナンドが「ポストパンク・リバイバル」と呼ばれたファンキーなダンス・ロックで人気を獲得すると、日本の洋楽ファンの間で ようやく好奇心を持って見られるようになりました。この頃の「ストロークス以降」の新勢力は続々続き、80sシンセ・ポップ・リバイバリストのザ・キラーズ、「田舎のストロークス」と称されたキングス・オブ・レオン、「2000年代のラッド(英国不良)ロック」とも称されたカサビアンなどが2010年代以降にかけてフェスのヘッドライナー・クラスの大物になったほか、短期人気ながらも全英1位に輝くバンドもブリットポップ期に匹敵かそれ以上に現れました。また、フランツやブロック・パーティラプチャーLCDサウンドシステムなどの登場で「ロックで踊る」ことがクラブ界隈でも大きな流行となりました。

Franz Ferdinand「Do You Want To」

同じ頃、日本には新世代バンドが登場し、“アジカン”ことASIAN KUNG-FU GENERATIONRADWIMPSレミオロメンELLE GARDENフジファブリックストレイテナーBase Ball Bearなどが次々と成功し、日本でのインディ発のロックの商業的な勢力も大きくなっていきます。しかし、彼らから聴こえて来たのは90s中頃の洋楽を強調したようなサウンドでした。彼らが好きなアーティストとしてあげるのも、 自分たちが高校・大学の時に夢中になった、ブリットポップやオルタナ、第12章で例に挙げたような日本のアーティストが大半で、洋楽で新しい人気バンド続出だった頃だったのにそうしたものはほとんどあがりませんでした。またチャットモンチースーパーカーいしわたり淳治がプロデューサーに当たったり、ナンバーガールのスタッフがBase Ball Bearの制作を行ない後継者的イメージで売り出すなど、「98年世代」の影響の大きさも見せはじめます。

ASIAN KUNG-FU GENERATION「Rewrite」

また、13章で述べたようなエモやポストロックの影響を受けたバンドも多く登場しました。9mm Parabellum Bullet凛として時雨The band apartからはこれらのサウンドに典型な変拍子を主体とした複雑な曲展開が目立ち、後にソロで成功した星野源もポストロック系インストバンドのSAKEROCKから登場し、やくしまるえつこ率いる相対性理論もポストロック的なアレンジを施す謎めいたポップ・バンドとして話題を呼びました。また、日本のポストロック・シーンから海外進出するアーティストも見られました。

しかし、日本での盛り上がりとは裏腹に、アメリカのインディ・ロック界でポストロックが先駆的音楽として影響力を持ったのは2000年代初頭までで、商業規模としてもシガーロスがアリーナ・クラス、モグワイがカルト的バンドに成長した程度でした。そしてエモも、当初の文系パンク的、もしくはストイックなイメージで長く成功したのはアット・ザ・ドライヴ・インの後身マーズ・ヴォルタデス・キャブ・フォー・キューティくらいでした。

そもそもエモそのものの意味が.本国ではガラリと変わってしまいます。エモ・バンドたちのルックスは「悩める心情を歌うイメージ」を具現化してか、やがてヴィジュアル系にも通じるゴス・ファッションやアイシャドウを施したものが主流となり、マイ・ケミカル・ロマンスフォール・アウト・ボーイが人気となりました。彼らは同時に、サム41グッド・シャーロットに代わる次のアイドル・バンドにさえなりました。また、同じことは女の子アーティストにも起きました。フォール・アウト・ボーイと同じレーベルのバンド、パラモアのヴォーカリスト、ヘイリー・ウィリアムスはアヴリルに代わるパンク・プリンセスになりましたが、それは日本でまだアヴリルの人気が絶大で、YUI木村カエラといった、アヴリルがいたから出て来やすかったタイプのアイドル性の強い女性ロッカーが大人気のうちに起こりました。

「90年代末にエモやポストロックの影響を受けた独自のシーンがあった」こと自体は世界的に見て独自なロックの展開ではあったし、ひとつのオリジナリティとしてあって良いことだったとは思います。しかし、この場合、惜しかったのは、本国でのシーンの勢いが落ちたり変質したりしていたにもかかわらず、妄信を続け、当時本当に勢いのあったシーンを見逃してしまったことです。また、90s半ばが音楽シーンとして世界的に充実していたのは事実ですが、英米がオルタナとブリットポップという大きなブームが終わったことで、90sとは別の音楽的影響やアイディアを使って再生したのに対し、落ち込みを迎えず良い時代を続けた日本は90sが延長されたままになってしまい変わることが出来なくなってもいました。日本では次第に「良い時代」を作った先輩を愛でる傾向が強まり、それが彼らの表現の幅も狭めもしました。

こうしたこともあり、第12章でも述べたように、90sの頃にはカート・コベインビースティ・ボーイズなどの時代の主役たちをもうならせ、積極的な海外リリースも珍しくなかった日本のインディ系のロックシーンからは、一部のカルトな存在を除いて、海外進出する動きや話題性も鈍りました。その間にオーストラリアやスウェーデン、アイスランド、フランスなどのアーティストが世界のシーンの主流に食い込み、差をつけられた観もありました。

そんなこの時代の日本のシーンの最大のパラドックスは、海外で最も知られた日本のアーティストがヴィジュアル系のDIR EN GREYMIYAVIだったことです。これはラウド・ロックの主流が前述したゴス化したエモに移行して行くタイミングで日本のヴィジュアル系との共通性が国際的に注目され、その中で海外シーンの感覚と最も合致したのが彼らだったことで起こったことですが、90sの日本のシーンで最も内輪で閉じたものになっていたものが世界で評価され、UKロックやオルタナの影響を受けていたはずのロックが国内で画一的な方向に向かったのは見ていて不思議かつ複雑な気もしました。

「ディスカバー・ジャパン」傾向の強かった日本のシーン

思えばこの頃、日本の音楽シーンそのものが、日本のこれまでの音楽シーンを再評価している頃のようにも見えたものでした。椎名林檎には多くのフォロワーが生まれたものでしたが、その際に70年代の歌謡曲的部分ばかりが強調され、氣志團からは80sの日本のポップ・カルチャーをカットアップして編集したようなセンスが感じられ、銀杏BOYZサンボマスターに代表された“青春パンク”のブームには70年代初頭の日本語ロックのアーティスト(第5章参照)がパンクをやった趣きが感じられ、EGO-WRAPPIN'クレイジーケンバンドには歌謡ソウル(第7章参照)リバイバルの趣きが濃厚で、2000年代に売れっ子プロデューサーとなった冨田恵一のストリングス系のアレンジには筒美京平(第7章参照)の影響を強く感じさせ、中島美嘉山口百恵松田聖子から脈々続くCBSソニー(現・ソニー・ミュージック・エンタテインメント)の王道アイドル・ポップスの21世紀を意識したような感じでした。こうした流れは、日本のポップスがそれなりに長い歴史を持ち再検証する価値のあるものになったことの証明でもあるので喜ばしいことではあります。ただ、それが洋楽がうまく伝わらない状況で起こってしまうと、カルチャーの内向き傾向に拍車をかけることにもなりかねませんでした。

このように、洋楽と日本のロックシーンの噛み合わせはすっかり悪くなっていましたが、2006年に「Myspaceの盛り上がりでデビュー曲が全英初登場1位獲得」と、いかにも新世代らしい触れ込みでアークティック・モンキーズが登場したり、前述のポストパンク・リバイバルがエレクトロ化しクラブ色が濃厚となった 「ニュー・レイヴ」のブームが起きた頃に、THE BAWDIESThe Mirrazthe telephonesなど、その辺りを意識したバンドも出て来はしました。しかし、それらが流れを決定的に変えることはなく、日本のシーンの洋楽ロックの主流からの遅れやズレは過去に前例のない10年規模の長さになりました。そして、巷には、そんな遅れやズレなど考えたことさえないような、洋楽体験のない若いリスナーの存在がむしろ普通になっていました。

Arctic Monkeys「I Bet You Look Good On The Dancefloor」

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